Tattonについて
Tattonプロジェクトの
これまでと、これから。
20110630-2

2011年3月11日。東日本大震災は東北に甚大な被害をもたらしました。とりわけ津波の被害は深刻でした。海水をかぶり塩害受けたたんぼは、2万ヘクタール以上。そのうち、除塩をして稲作ができたのは、当時1割以下という状況でした。 根から塩分を吸収する「綿花」を栽培することにより、土壌の復活と稲作の再生を目指そうと立ち上がったTattonプロジェクトは、何もかもが手さぐりの状態からスタートしました。

2011年6月よりプロジェクトに参加して下さった、福島県新地町の目黒さんは、所有するたんぼの7割が水没してしまいました。たんぼが乾燥すると、塩が真っ白に噴き出てくるほど、塩分濃度が高かったのです。通常、稲作ができる土壌の塩分濃度は0.2%以下ですが、このとき目黒さんのたんぼの塩分濃度は、4倍の0.87%もありました。当時の目黒さんは、こう振り返ります。
「あの時、町役場で声をかけられなかったら、綿花栽培なんて一生しなかった…。」
除塩ができた暁には、稲作でグリーンのじゅうたんを作って、秋には黄金色に輝くたんぼの姿を見たい。そして、1日も早く復興したい。ただそれだけ。とおっしゃっていた目黒さん。初めての綿花栽培で収穫できた新地町の綿花の量は、35㎏と少量でしたが、それでも、土壌の塩分濃度は0.87%から0.14%まで下がり、稲作ができる状態にまで戻ることができました。2012年の夏。除塩に成功した目黒さんのたんぼでは、鮮やかに緑輝く稲のじゅうたんが広がりました。プロジェクトに参加してくださった目黒さんのご長男は、農家を継ぐ決意をされました。

2012年は圃場を東松島にも拡大しました。圃場主は、海から2kmの場所で先祖代々農家を続けている熱海修市さんです。この辺りの田畑もまた、壊滅的な被害を受けていました。栽培中は、近隣にある大曲小学校の皆さんが、課外授業で綿花の栽培・観察をしてくれました。
2013年からは、新たな農業再生の活動として、福島県のJA新福島ファーム、宮城県の丸森など、津波被害のなかった地区も圃場を拡大し、綿花の更なる可能性を求めて、新たな一歩を踏み出しました。

「無くしたもの」を取り戻すために始めたTattonでしたが、ここからは「無かったもの」を創出するプロジェクトに形を変えていこうと思います。
「ボランティア」×「観光」という新しい旅行スタイル。「Tatton」×「有名ブランド」という新しいコラボ商品。などなど、やりたい事や夢は膨らむばかりです。
いつか、その場所に住む人たちに、その場所で起きた事を乗り越える程の「エネルギー」が生まれる日まで。