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桐島かれんの若い頃がかわいい!デビュー当時から現在までを時系列で解説!

この記事では、モデル、女優、そして実業家として活躍する桐島かれんさんの若い頃から現在までのキャリアの変遷を紹介しています。

20代のモデルデビューから始まり、音楽活動、子育て期間中の新たな挑戦、そして40代での自身のブランド設立まで、各年代での主要な活動や転機となった出来事を詳しく解説しています。

当記事を読めば、桐島かれんさんの若い頃からの才能と、常に新しいことに挑戦し続ける姿勢を知ることができますよ!

当記事で主に以下の内容をまとめています。

  • 桐島かれんさんのモデルデビューの経緯
  • 20代後半の音楽活動への挑戦
  • 30代の子育て期間中の新たな取り組み
  • 自身のブランド「HOUSE OF LOTUS」設立の背景
  • 40代以降の映画出演や新規事業への挑戦

桐島かれんの若い頃:主な活動歴や受賞歴

20代の活動

20代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1986年(22歳) 大手化粧品会社のイメージキャラクターとしてモデルデビュー
1989年(25歳)
  • サディスティック・ミカ・バンドの再結成に参加し、ボーカリストとしてデビュー
  • 高橋幸宏のツアーにゲスト参加
  • ドラマ『愛し方がわからない』で槇島美笛役を演じる
1990年(26歳) ドラマ『日本一のカッ飛び男』に出演
1992年(28歳) ドラマ『裸の大将放浪記・90分スペシャル 清・ジャングルの密会』に出演
1993年(29歳) 写真家の上田義彦さんと結婚

モデルとしてのデビューと活躍

桐島かれんさんの20代は、モデルとしての活動が本格的に始まった時期でした。1986年、22歳の時に大手化粧品会社のイメージキャラクターに抜擢され、これがかれんさんのモデルデビューとなりました。

この機会をきっかけに、桐島かれんさんの活動の場は急速に広がっていきます。雑誌やテレビCMに次々と登場し、その独特の雰囲気と美しさで多くの人々の注目を集めました。

かれんさんは、当時を振り返ってこう語っています。

「突然スポットライトを浴びることになって、最初は戸惑いもありました。でも、自分の感性を大切にしながら、一つ一つの仕事に真摯に向き合うようにしていました」

モデルの仕事だけでなく、テレビドラマにも出演するなど、活動の幅を広げていきました。1989年には『愛し方がわからない』というドラマで槇島美笛役を演じ、女優としての一面も見せています。

さらに、同じ年にはサディスティック・ミカ・バンドのボーカルとしてデビューし、音楽の分野にも進出しました。

このように、桐島かれんさんの20代は、モデルとしてのデビューから始まり、多彩な活動へと広がっていった、まさに飛躍の時期だったと言えるでしょう。

にゃん
にゃん
桐島かれんさんは若い頃、ユーラシア大陸を横断したって本当?
わん
わん
そう、高校生の時だったんだって。飛行機を使わずに汽車と船だけで、北京からモスクワを経由してポルトガルまで1ヶ月かけて旅したんだ。その旅でかれんさんの価値観が大きく変わったみたいだよ。

音楽活動への挑戦

桐島かれんさんの20代後半は、音楽活動への挑戦が印象的な時期でした。1989年、サディスティック・ミカ・バンドの再結成に参加し、ボーカリストとしてデビューしたのです。

かれんさんは、この経験について次のように語っています。

「モデルや女優とは全く異なる世界に飛び込んで、最初は戸惑いもありました。でも、音楽を通じて自分を表現する喜びを知りました」

バンド活動は、かれんさんにとって新しい挑戦でした。歌唱力だけでなく、ステージパフォーマンスも求められる中、彼女は持ち前の好奇心と探究心で這い上がっていきました。

同年、高橋幸宏さんのツアーにゲストとして参加する機会も得ました。この経験は、かれんさんの音楽性をさらに広げる契機となったようです。

音楽活動を通じて、かれんさんは新たな自分を発見していったと言えるでしょう。モデルや女優としての顔とは異なる、音楽家としての一面を見せることで、かれんさんの多才さがより一層際立つことになりました。

このように、20代の桐島かれんさんは、音楽という新たな分野に挑戦することで、自身の可能性を広げていったのです。

30代の活動

30代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1994年〜2003年(30〜39歳)
  • 4人の子ども(3女1男)を出産し、育児に専念
  • 子育ての合間に、インテリアや花を生けるなど自分の好きなことを少しずつ継続
2000年頃(36歳頃)
  • 子連れでバリ島やタイに買い付けに行き、世界中の工芸品や雑貨を収集
  • 元麻布の自宅を開放し、年に3週間ほどの期間限定で雑貨販売を開始

結婚と子育ての開始

桐島かれんさんの30代は、結婚と子育てを中心とした新たな人生のステージが始まった時期でした。

1993年、28歳の時に写真家の上田義彦さんと結婚し、その後4人の子どもに恵まれました。

かれんさんは、子育て期を振り返ってこう語っています。

「子育ては想像以上に大変でした。でも、子どもたちと過ごす時間は何物にも代えがたい貴重な経験になりました」

子育ての忙しさは想像を超えるものだったようです。

かれんさんは、産後8年間は美容院にも行けず、映画館に行くのも10年以上我慢したと明かしています。4人の子どもを3年おきに出産し、常に誰かを抱っこしている状態が続いたそうです。

しかし、そんな中でも、かれんさんは自分らしさを失わないよう心がけていました。

子育ての合間に、インテリアや花を生けるなど、自分の好きなことを少しずつ続けていたのです。これが後のかれんさんの活動につながっていくことになります。

子育て期間中、かれんさんは華やかな芸能活動から一時的に距離を置きました。しかし、この時期に得た経験や気づきが、後の彼女の活動の原動力となっていったのです。

にゃん
にゃん
30代の頃は毎日たくさんの料理を作ってたんだって?
わん
わん
そうなんだ!かれんさんは毎日12人分の夕食を作っていたんだって。家族だけでなく、夫の事務所のスタッフも一緒に食事をしていたみたい。カレーは寸胴鍋で作って、餃子は100個単位で準備したんだって。すごいよね!

自宅での雑貨販売の始まり

桐島かれんさんの30代後半は、子育ての真っ最中でありながら、新たな挑戦の始まりでもありました。2人目の子どもが生まれた頃、かれんさんの中で眠っていた創造性が再び息を吹き返したのです。

かれんさんは、この時期をこう振り返っています。

「子育てに追われる日々でしたが、自分の中にあるクリエイティブな部分を表現したいという思いが湧き上がってきたんです」

そこで始めたのが、自宅での雑貨販売でした。子どもたちを連れて、バリ島やタイに買い付けに行き、世界中の魅力的な工芸品や雑貨を集めました。

そして、元麻布の自宅を開放して、年に3週間ほどの期間限定でお店を開きました。

この取り組みは、かれんさんにとって単なる趣味以上の意味を持っていました。それは、自分の感性を形にする場所であり、子育てとは異なる自己表現の機会だったのです。

当初は経営のことも分からず、帳簿の付け方すら知らなかったそうです。しかし、かれんさんは持ち前の好奇心と行動力で、少しずつノウハウを蓄積していきました。

この自宅での雑貨販売は、後にかれんさんが本格的にファッションブランドを立ち上げる際の貴重な経験となりました。

子育てをしながら、自分の興味と才能を活かした新しい挑戦を始めたこの時期は、彼女のキャリアの転換点だったと言えるでしょう。

40代以降の活動

40代以降の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2013年(49歳)
  • 自身のブランド「HOUSE OF LOTUS」を設立
  • ブランドのクリエイティブディレクターに就任
2014年(50歳) 映画『リトル・フォレスト』に出演(主人公の母親役)
2017年(53歳) 「HOUSE OF LOTUS 二子玉川店」をオープン
2019年(55歳) 自身初のライフスタイル&トラベルムック『KAREN’s』の責任編集を担当
2023年(59歳) 葉山の古い日本家屋に引っ越し、自然に囲まれた暮らしを楽しむ

ブランド設立と事業拡大

桐島かれんさんの40代は、長年温めてきた夢を実現させる時期となりました。2013年、かれんさんは自身のブランド「HOUSE OF LOTUS」を設立しました。

かれんさんは、ブランド設立の思いをこう語っています。

「世界中を旅して出会った美しいものや文化を、多くの人と共有したいという気持ちが、ずっと私の中にありました」

HOUSE OF LOTUSは、かれんさんが世界各地で集めた工芸品や雑貨、そして独自のセンスで作られた洋服などを扱うライフスタイルブランドです。30代から始めた自宅での雑貨販売の経験が、このブランドの礎となりました。

ブランドの成長とともに、かれんさんの活動の場も広がっていきました。クリエイティブディレクターとして、商品の企画から買い付け、ディスプレイまで、幅広い業務に携わるようになったのです。

2017年には、二子玉川の玉川高島屋に「HOUSE OF LOTUS 二子玉川店」をオープン。ブランドの世界観を存分に表現できる場所を得て、さらなる事業拡大を果たしました。

このように、40代以降の桐島かれんさんは、自身の経験と感性を活かしたブランドを立ち上げ、成功を収めました。モデルや女優としての活動とは異なる形で、自己表現の場を見出したと言えるでしょう。

映画出演と新たな挑戦

桐島かれんさんの40代以降は、ブランド経営だけでなく、新たな表現の場を求めて挑戦を続けた時期でもありました。その中でも特に注目を集めたのが、2014年の映画『リトル・フォレスト』への出演です。

かれんさんは、この映画出演について次のように語っています。

「長年離れていた演技の世界に戻ることに不安もありましたが、作品の魅力に惹かれ、新しい自分を発見する良い機会になりました」

『リトル・フォレスト』では、主演の橋本愛さん演じる主人公の母親役を演じました。ほぼノーメイクで農婦のような姿を演じるなど、これまでのイメージとは異なる役柄に挑戦しました。

この映画を通じて、かれんさんは「食」の大切さや、自然と共に生きることの素晴らしさを改めて実感したそうです。この経験は、その後の彼女の活動にも影響を与えることになりました。

映画出演以外にも、かれんさんは様々な新しい挑戦を続けています。

2019年には自身初のライフスタイル&トラベルムック『KAREN’s』の責任編集を手がけ、これまでの経験や感性を存分に活かした作品を世に送り出しました。

このように、40代以降の桐島かれんさんは、これまでの経験を土台にしつつ、常に新しい挑戦を続けています。その姿勢は、多くの人々に刺激と勇気を与え続けているのです。

にゃん
にゃん
海が好きそうなエピソードがあるって?
わん
わん
そうなんだ!50代半ばになってから葉山の古い日本家屋に引っ越したんだって。海を一望できる高台の家で、愛犬と一緒に自然に囲まれた暮らしを楽しんでいるみたい。ガーデニングにも夢中になってるらしいよ。

桐島かれんの若い頃〜現在はどんな活動を?

ガーデニングと観葉植物への情熱

桐島かれんさんは、葉山での新生活を始めてから、ガーデニングと観葉植物の世話に夢中になっています。天気の良い日には、麦わら帽子を被って庭に出て、植物たちに水やりをする姿が日課となっているんだとか。

かれんさんは、自身のInstagramやブログで、庭の様子や育てている植物たちの成長を頻繁に紹介しています。

例えば、藤棚の下に置いた中国から運んできたテーブルと椅子、大きな壺で育てているハスの花など、世界各地の要素を取り入れた独特の庭づくりを楽しんでいるようです。

また、家庭菜園にも挑戦し、自分で育てた野菜を使って料理を楽しむ様子も共有しています。コンポストを設置して生ごみを堆肥にするなど、エコロジーにも配慮した取り組みを行っているのが特徴的です。

観葉植物への愛情も深く、室内でも多くの植物を育てています。これらの植物たちが、かれんさんの日々の暮らしに彩りと潤いを与えているようです。

ガーデニングと観葉植物の世話は、桐島かれんさんの現在の生活における大きな楽しみとなっているようですね。自然と共に過ごす時間を通じて、新たな充実感を見出しているのでしょう。

YouTubeでの日常生活の発信

桐島かれんさんは、最近YouTubeチャンネル「桐島かれん at home」を立ち上げ、日々の暮らしを積極的に発信しています。

このチャンネルでは、かれんさんの愛犬との日常や料理、旅の様子など、多岐にわたる内容を視聴者と共有しています。

特に人気なのが、かれんさんの料理動画です。長年12人分の食事を作ってきた経験を活かし、簡単でおいしい料理のレシピを紹介しています。

例えば、季節の食材を使ったヘルシーな料理や、家族に人気のメニューなどを丁寧に解説しているのです。

また、葉山での新生活の様子も頻繁に取り上げられています。庭のガーデニングや観葉植物の手入れ、海辺での散歩など、自然と共に過ごす充実した日々を視聴者に伝えています。

さらに、「HOUSE OF LOTUS」のクリエイティブディレクターとしての仕事の一端も垣間見ることができます。

世界各地での買い付けの様子や、ブランドの新作アイテムの紹介など、ファッションやライフスタイルに関心のある視聴者にとって興味深い内容となっているでしょう。

このYouTubeチャンネルを通じて、桐島かれんさんは自身の日常生活やライフスタイルを多くの人々と共有し、新たなファン層を開拓しています。

彼女の多彩な魅力が、映像を通してより身近に感じられるようになったと言えるでしょう。

まとめ

桐島かれんさんの若い頃は、モデルとしてのデビューから始まりました。22歳で化粧品会社のイメージキャラクターとなり、その後活動の幅を広げていきます。

20代後半には音楽活動にも挑戦し、サディスティック・ミカ・バンドのボーカリストとしてデビュー。女優としても活躍し、多才な一面を見せました。

30代に入ると結婚し、4人の子育てに専念。しかし、その合間にも創造性を発揮し、世界中の雑貨を集めて自宅で販売を始めます。

40代で自身のブランド「HOUSE OF LOTUS」を設立。クリエイティブディレクターとして新たなキャリアをスタートさせました

現在は葉山の自然豊かな環境で暮らし、ガーデニングを楽しみながら、YouTubeでも日常を発信。常に新しい挑戦を続ける桐島さんの姿勢は、多くの人々に刺激を与え続けています。