当サイトにはプロモーションが含まれています。

役者

松原智恵子の若い頃がかわいい!息子は東大病院のお医者さん!

松原智恵子さんの若い頃から現在までの輝かしい経歴をご存知ですか?

「日活三人娘」として人気を博した10代から、国際映画祭で主演女優賞を受賞した70代まで、松原さんの歩みは日本映画界の歴史そのものです。

本記事では、松原さんの主要な活動や受賞歴、家庭生活までを詳しく紹介しています。

若手女優時代の苦労や、家庭と仕事の両立、そして円熟期の演技の深まりなど、多岐にわたる情報をお届けします。

当記事を読めば、松原智恵子さんの波乱万丈な人生と、輝き続ける女優としての魅力を知ることができますよ!

当記事で主に以下の内容をまとめています。

  • 松原智恵子さんの若い頃の活動と「日活三人娘」としての人気
  • 10〜20代の主な出演作品と受賞歴
  • テレビドラマへの進出と人気の理由
  • 20代での結婚と100日間の新婚旅行の詳細
  • 30代後半での出産と、仕事と育児の両立方法
  • 50代以降の演技の深まりと国際映画祭での受賞

松原智恵子の若い頃:主な活動歴や受賞歴

10〜20代の活動:日活全盛期の人気女優

10〜20代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1960年(15歳) 「ミス16歳コンテスト」に入賞
1961年(16歳)
  • 日活に入社
  • 映画『夜の挑戦者』でデビュー
  • 映画『明日に向かって突っ走れ』でヒロインデビュー
1962年(17歳) 父が東京の撮影所近くに家を建ててくれる(完成前に父が他界)
1960年代後半
  • テレビドラマに進出
  • 「日活三人娘」として人気を博す
  • ドラマ『ある日わたしは』(1967年)に出演
1971年(26歳) 日活の一般映画製作終了
1972年(27歳)
  • 日活を離れる
  • ジャーナリストの黒木純一郎と結婚
  • 新婚旅行で100日間かけてヨーロッパとアフリカを車で走破
1973年(28歳) NHK大河ドラマ『国盗り物語』に出演(織田信長の妹・お市役)
1974年(29歳) 森光子主演の舞台『放浪記』に出演

「日活三人娘」としての活躍

松原智恵子さんは、1960年代の日本映画黄金期に「日活三人娘」として大きな注目を集めました。

吉永小百合さん、和泉雅子さんと共に、この愛称で親しまれたのです。

当時を振り返り、松原さんは「日活が私を育てようとしてくれた」と感謝の気持ちを語っています。

デビュー作『夜の挑戦者』では、まだ棒読みだった演技も、周囲のサポートで徐々に成長していきました。

特に印象深かったのは、赤木圭一郎さんとの共演エピソード。

松原さんは「端役だった私にも気さくに接してくださり、アイスクリームをごちそうしてくれた」と、優しかった先輩俳優の思い出を懐かしそうに語ります。

人気絶頂期には、ブロマイド売り上げで女優部門1位を獲得。

1日に100枚ものファンレターが届くほどの人気ぶりでした。

そのため、自宅に郵便局のような仕分け棚を作ったというエピソードは、当時の人気の高さを物語っています。

松原さんは「日活三人娘」としての活躍を通じて、日本映画界を代表する女優として確固たる地位を築きました。

その後のキャリアの基盤となった、かけがえのない時期だったのです。

にゃん
にゃん
松原智恵子さんが10代の頃、家を建ててもらったって本当?
わん
わん
そうなんだよ!松原さんが17歳の時、お父さんが日活撮影所の近くに家を建ててくれたんだって。女優としてやっていけるめどが立ったからだって。その年の夏休みに軽自動車の免許も取ったんだけど、残念なことに家が完成する直前にお父さんが亡くなっちゃったんだ。

テレビドラマへの進出と人気

1960年代後半、映画界の風向きが変わり始めると、松原智恵子さんはいち早くテレビドラマの世界に足を踏み入れました。

この決断が、彼女の人気をさらに押し上げる結果となったのです。

1967年から放送された『ある日わたしは』は、松原さんのテレビドラマ代表作の一つとなりました。

このドラマで演じた城山ゆり子役は、視聴者の心に深く刻まれることとなります。

松原さんは当時を振り返り、「テレビは映画とは違う魅力がありました」と語っています。

毎週視聴者の家庭に”お邪魔する”感覚が新鮮で、より身近な存在として愛されるようになったと感じたそうです。

テレビドラマへの進出は、松原さんの表現の幅を広げる機会にもなりました。

「大学生の役を演じることが多くなり、実際に大学に行ってみたいという気持ちが芽生えたんです」と、彼女は当時の心境を明かしています。

この好奇心が、後の明治大学入学につながったのかもしれません。

人気絶頂期には、吉永小百合さんとの視聴率競争も繰り広げられました。

松原さんは「競争というよりは、お互いに刺激し合える良いライバルでした」と、当時を懐かしむように語っています。

テレビドラマへの進出は、松原さんのキャリアに新たな展開をもたらしました。

映画とは異なる魅力を持つテレビドラマで、彼女は多くの視聴者の心を掴んだのです。

この経験が、その後の長きにわたる女優人生の礎となったと言えるでしょう。

にゃん
にゃん
松原智恵子さんの20代の頃って、どんな生活だったの?
わん
わん
松原さんは27歳で結婚したんだけど、新婚旅行がすごかったんだよ!100日間かけてヨーロッパとアフリカを車で走破したんだって。サハラ砂漠も横断したらしいよ。夫婦で17カ国も回ったんだって。冒険みたいな新婚旅行だったんだね!

30〜40代の活動:家庭と仕事の両立

30〜40代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1975年(30歳) NHK大河ドラマ『元禄太平記』に出演
1980年(35歳) 子どもを授かりたいと思い始める
1981年(36歳) NHK大河ドラマ『おんな太閤記』に出演
1983年(38歳) 妊娠
1984年(39歳)
  • 長男を出産
  • 10ヶ月間育児に専念
1985年以降
  • 仕事復帰
  • 子どもの学校行事を最優先にスケジュール調整
  • 運動会、参観日、保護者会に積極的に参加

結婚と育児の経験

松原智恵子さんは27歳でジャーナリストの黒木純一郎さんと結婚しました。

出会いは雑誌の密着取材。

5年間の交際を経て結婚に至ったそうです。

新婚旅行は100日間かけてアフリカ大陸を横断するという、壮大なものでした。

松原さんは「サハラ砂漠を走破した時の感動は今でも忘れられません」と、当時の興奮を語っています。

結婚後も仕事を続けた松原さんですが、35歳頃から子どもが欲しいと思うようになったそうです。

しかし、なかなか授からず、38歳でようやく妊娠。

39歳で長男を出産しました。

出産後は10ヶ月間、育児に専念。

その後、仕事に復帰しましたが、子育てと仕事の両立には苦労したそうです。

「子どものスケジュールを最優先にしました」と松原さん。

運動会や参観日には必ず参加し、保護者会にも積極的に出席したといいます。

お弁当作りにも工夫を凝らし、夕食の一部を冷凍したり、朝食を作りながら同時に弁当のおかずを調理したりと、時間を有効活用していました。

松原さんは「40代の10年間は、家庭も仕事も充実していて、とても楽しかったです」と振り返ります。

仕事と育児の両立は大変でしたが、その分やりがいも大きかったのでしょう。

この時期の経験は、松原さんの演技にも深みを与えたに違いありません。

家庭を持ち、母親になったことで、新たな視点や感性が芽生え、それが演技にも反映されていったのではないでしょうか。

にゃん
にゃん
松原智恵子さんって30代で子育てしてたんだよね?
わん
わん
そうなんだ!松原さんは39歳で長男を出産したんだよ。35歳くらいから子どもが欲しかったけど、なかなかできなくて。38歳でようやく妊娠して、出産後は10ヶ月間育児に専念したんだって。遅めの出産だけど、すごく喜んでいたみたいだね。

NHK大河ドラマへの出演

松原智恵子さんの30〜40代の活動を語る上で、NHK大河ドラマへの出演は特筆すべき出来事でした。

彼女にとって初めてのNHK作品となった『国盗り物語』(1973年)は、彼女のキャリアに新たな転機をもたらしました。

この作品で松原さんは、織田信長の妹・お市を演じています。

当時を振り返り、「初めての大河ドラマで緊張しましたが、同じ日活出身の俳優さんたちに囲まれて心強かった」と語っています。

高橋英樹さんや杉良太郎さんなど、馴染みの顔ぶれに支えられながら、新しい挑戦に臨んだようです。

松原さんは、この役を通じて本格的な時代劇に初挑戦しました。

幼い頃から習っていた日本舞踊のおかげで、着物の着こなしや所作に苦労することなく役に没頭できたと言います。

この経験が、後の時代劇出演にも大きく活かされることとなりました。

その後も『元禄太平記』(1975年)、『おんな太閤記』(1981年)など、複数の大河ドラマに出演。

松原さんは「大河ドラマは、その時代を生きた人々の感情や思いを深く掘り下げる機会になりました」と、これらの経験を通じて女優としての幅が広がったことを実感しているようです。

NHK大河ドラマへの出演は、松原さんのキャリアに新たな側面をもたらしました。

時代劇への挑戦は、彼女の演技の幅を広げ、より多彩な役柄を演じる基盤となったのです。

この時期の経験が、後の円熟期の演技につながっていったと言えるでしょう。

にゃん
にゃん
松原智恵子さんって40代の時、子育てと仕事の両立どうしてたの?
わん
わん
松原さんは子どもの学校行事を最優先にしてたんだって!運動会や参観日には必ず参加して、保護者会にも積極的に出席してたみたい。お弁当作りも工夫してて、夕食の一部を冷凍したり、朝食を作りながら同時に弁当のおかずを作ったりしてたんだって。すごい努力家だよね!

50代以降の活動:大女優としての円熟期

50代以降の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2010年(65歳) NHK大河ドラマ『龍馬伝』に出演
2016年(71歳)
  • 映画『ゆずの葉ゆれて』に主演
  • 第1回ソチ国際映画祭で主演女優賞を受賞
2017年(72歳) 毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞
2019年(74歳) 映画『長いお別れ』に出演
2020年(75歳) TVドラマ『隕石家族』に出演(初のSF作品)
2022年(77歳)
  • NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演
  • 映画『宮古島物語ふたたヴィラ』に主演
2023年(78歳)
  • マドリード国際映画祭主演女優賞を受賞
  • 50年連れ添った夫・黒木純一郎さんが他界
2024年(79歳)
  • 映画『宮古島物語ふたたヴィラ 再会ぬ海』公開予定
  • 映画『てっぺんの剣』公開予定

国際映画祭での受賞

松原智恵子さんの50代以降の活動で特筆すべきは、国際映画祭での受賞です。

長年の実力が国際的に認められ、その演技力が高く評価されました。

2016年、71歳の時に主演を務めた映画『ゆずの葉ゆれて』で、第1回ソチ国際映画祭主演女優賞を受賞しました。

松原さんは「まさか70代になってから賞をいただけるとは思わず、驚きと喜びでいっぱいでした」と、その時の気持ちを語っています。

この作品で松原さんは、病床の夫を看取る妻を演じました。

役作りについて「人生経験を重ねたからこそ表現できる役でした」と振り返り、年齢を重ねたことで演技に深みが増したと感じたそうです。

さらに2022年、77歳で迎えた喜寿の年には、主演映画『宮古島物語ふたたヴィラ』でマドリード国際映画祭主演女優賞を受賞。

松原さんは「この年齢になっても新しい挑戦ができることに感謝しています」と、喜びを語りました。

これらの受賞は、松原さんの女優としての歩みが国際的に認められた証です。

彼女は「賞をいただくことで、まだまだ頑張れると勇気づけられました」と話し、今後の活動への意欲を見せています。

長年の経験と努力が実を結び、国際的な場で高い評価を得た松原さん。

これらの受賞は、彼女の女優人生における新たな章の始まりとなったのです。

にゃん
にゃん
松原智恵子さんの50代の頃って、何か趣味とかあったの?
わん
わん
そうだね、松原さんは50代の頃からウォーキングを始めたんだって。息子さんの希望で犬を飼い始めたのがきっかけみたい。犬の散歩が日課になって、それが今でも続いているんだよ。体力が衰え始める前に散歩の習慣がついて、ラッキーだったって言ってたんだ。

多様な役柄への挑戦

松原智恵子さんの50代以降の活動は、多様な役柄への挑戦で彩られています。

長年の経験を生かしながら、新たな表現に挑む姿勢が際立っています。

2019年の映画『長いお別れ』では、認知症の夫を介護する妻・曜子を演じました。

松原さんは「この役を通して、人生の重みや家族の絆について深く考えさせられました」と語っています。

年齢を重ねたからこそ表現できる役柄に、真摯に向き合う姿勢が窺えます。

2020年には、TVドラマ『隕石家族』で、芸歴60年にして初めてSF作品に挑戦しました。

松原さんは「隕石が落ちてくるなんて想像もしたことがなかったので、最初は驚きましたが、新鮮な気持ちで臨めました」と振り返っています。

この作品で、彼女は従来のイメージとは異なる、少し濃いめのキャラクターを演じ、視聴者を驚かせました。

さらに、2022年にはNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演。

戦前から現代まで生きる女性を演じ、その長い人生を表現しました。

松原さんは「一つの役で様々な年代を演じるのは難しかったですが、とてもやりがいがありました」と、挑戦の醍醐味を語っています。

これらの多様な役柄への挑戦は、松原さんの女優としての深みと幅を一層増しています。

彼女は「年齢を重ねるほど、新しい自分を発見できる。

それが演技の楽しさです」と、今後も様々な役に挑戦する意欲を見せています。

松原智恵子の若い頃〜現在:息子は東大病院のお医者さん

夫との別れと新たな人生の始まり

2023年2月、松原智恵子さんは50年連れ添った夫・黒木純一郎さんを突然失いました。

80歳で他界した黒木さんは、最期まで現役のジャーナリストとして活躍していました。

松原さんは、夫の死について「何もさせてもらえないまま夫が旅立ってしまったことに、寂しさを感じる」と語っています。

突然の別れに戸惑いながらも、前を向こうとする姿勢が伺えます。

2024年6月、松原さんは『徹子の部屋』に出演し、夫との思い出や別れについて語りました。

番組では、夫婦で14年前に日本尊厳死協会に入会していたことも明かされました。

これは、夫婦で「最期」について考えていた証でもあります。

松原さんは、夫の死後も女優として精力的に活動を続けています。

「これまでと同じように仕事も趣味も充実させて、毎日楽しんでいます」と、新しい生活に前向きに取り組む姿勢を見せています。

夫との別れを乗り越え、新たな人生の章を歩み始めた松原さん。

女優としての活躍はもちろん、一人の人間としての成長も、多くの人々に勇気を与えているのです。

東大病院のお医者さんである息子との支え合い

松原智恵子さんの一人息子は、現在東大病院の内科医局に勤務する医師です。

超エリートの道を歩んできた息子さんは、2023年から2024年にかけて、母・松原さんの大きな支えとなっています。

父親を亡くした直後、息子さんは松原さんの心のケアに細心の注意を払いました。

医師としての知識を活かし、母の健康状態にも気を配っているのです。

松原さんは、息子との関係について「今は私のことをとても大事にしてくれます」と語っています。

かつては距離を置いていた時期もあったそうですが、今では深い絆で結ばれているようです。

息子さんは多忙な医師の仕事の合間を縫って、松原さんの自宅を訪問することも。

二人で食事を楽しんだり、映画を観たりと、貴重な時間を過ごしているそうです。

また、松原さんの仕事に対しても理解があり、母の女優活動を全面的にサポートしています。

このような息子との関係が、松原さんの近年の活躍を支える大きな力となっているのでしょう。

母と息子の絆は、互いを支え合う関係へと深まっています。

松原さんにとって、息子の存在は新たな人生を歩む上での心の支えとなっているのです。

松原智恵子のプロフィール

項目 プロフィール
名前 松原智恵子(まつばら ちえこ)
生年月日 1945年1月6日
出身地 愛知県名古屋市
デビュー 1961年、映画『夜の挑戦者』
代表作
  • 映画『明日に向かって突っ走れ』
  • ドラマ『ある日わたしは』
  • 大河ドラマ『龍馬伝』
  • 映画『ゆずの葉ゆれて』
  • 映画『長いお別れ』
受賞歴
  • 2016年 ソチ国際映画祭主演女優賞
  • 2017年 毎日映画コンクール田中絹代賞
  • 2023年 マドリード国際映画祭主演女優賞
家族 夫(故人):黒木純一郎、息子:医師(東大病院勤務)
趣味・特技
  • 日本舞踊
  • ウォーキング
  • 裂き織り

松原智恵子の若い頃がかわいい!息子は東大病院のお医者さん!:まとめ

松原智恵子さんの若い頃から現在までの輝かしい経歴は、日本映画界の歴史そのものといえるでしょう。

10代で日活全盛期の人気女優として注目を集め、「日活三人娘」の一人として活躍しました。

20代後半で結婚し、30代後半で出産を経験。家庭と仕事の両立に奮闘しながら、NHK大河ドラマにも出演し、演技の幅を広げていきました。

50代以降も多様な役柄に挑戦し続け、70代になってからも国際映画祭で主演女優賞を受賞するなど、その実力は衰えを知りません。

現在も新作映画の公開を控え、精力的に活動を続ける松原さん。

東大病院に勤務する医師の息子さんとの絆も深まり、新たな人生の章を歩んでいます。