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三宅健は若い頃にド直球の決断!ジャニー社長に衝撃のNOを突きつけた理由!

三宅健さんの若い頃から現在までの軌跡を追うと、アイドルとしての成功だけでなく、多彩な才能の開花が見えてきます。

V6のメンバーとしてデビューした10代から、俳優として評価を高めた20代、そして手話番組のナビゲーターを務めた30代まで、三宅さんの活動は常に進化を続けてきました。

40代に入ってからのジャニーズ退所やTOBE移籍といった大きな転機も、彼の新たな挑戦の一環と言えるでしょう。

当記事を読めば、三宅健さんの若い頃からの歩みと、アイドルとしての覚悟、そして私生活の一端まで、幅広く知ることができますよ!

当記事で主に以下の内容をまとめています。

  • 三宅健さんの若い頃の主な活動歴と受賞歴
  • V6加入時のエピソードと「剛健コンビ」の誕生秘話
  • 20代での俳優としての成長と代表作品
  • 30代で始めた手話番組ナビゲーターとしての活動
  • 40代でのジャニーズ退所とTOBE移籍の経緯
  • アイドルとしての覚悟と結婚観の変化

三宅健の若い頃:主な活動歴や受賞歴

10代:ジャニーズ入所とV6デビュー

10代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1993年(14歳)
  • 親戚の勧めでジャニーズ事務所に履歴書を送る
  • ジャニー喜多川社長から直接電話を受け、SMAPのコンサートに出演
  • ジャニーズJr.として活動開始
1994年(15歳) ドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』に出演
1995年(16歳)
  • V6のメンバーに選出される
  • 11月1日、V6としてシングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー
1996年(17歳) ドラマ『銀狼怪奇ファイル』に出演
1997年(18歳)
  • ドラマ『名探偵 保健室のオバさん』に主演
  • バラエティ番組『伊東家の食卓』に長男役としてレギュラー出演開始
1998年(19歳) ドラマ『PU-PU-PU-』にComing Centuryのメンバーとして主演

V6加入を迷った過去

三宅健さんがV6に加入する際、実は一度断っていたことをご存知でしょうか。

ジャニー喜多川さんから相談を受けた時、三宅さんは森田剛さんの名前がないことに気づきました。

そこで三宅さんは、「剛がいないんだったらデビューしたくない」と率直に伝えたそうです。

この発言には、三宅さんと森田さんの固い絆が感じられます。

二人は「剛健コンビ」として人気を博していたため、三宅さんにとって森田さんの存在は特別だったのでしょう。

しかし、ジャニーさんは三宅さんの気持ちを汲み取り、「剛がやるんだったらやってもいい」という条件を受け入れました。

ここで興味深いのは、ジャニーさんが「ユーが一番になれないけどいいの?」と三宅さんに確認したことです。

これに対し三宅さんは、1番や2番を争うような関係になってもいいから、森田さんを入れてほしいと答えました

この返答からは、三宅さんの友情を大切にする姿勢が伝わってきます。

結果として、三宅さんの希望が通り、V6のメンバー構成が決まっていきました。

この出来事は、三宅さんの人柄や価値観を表す印象的なエピソードといえるでしょう。

友人思いで誠実な三宅さんの姿勢が、のちのV6の絆の強さにつながったのかもしれません。

にゃん
にゃん
三宅健さんって、ジャニーズに入るきっかけは何だったの?
わん
わん
実は親戚の勧めで履歴書を送ったんだって。その2、3日後にジャニー喜多川さんから直接電話があって、SMAPのコンサートに誘われたんだ。そこでいきなりカメラの前に立たされて、アイドル雑誌の撮影までしちゃったらしいよ。

剛健コンビの人気と活躍

三宅健さんと森田剛さんの「剛健コンビ」は、ジャニーズJr.時代から多くのファンを魅了していました。

二人の出会いは、ジャニーズ事務所に入所してすぐの頃。

三宅さんは、「YOUはビジュアルでいくから」とジャニー喜多川さんに言われ、当初はダンスレッスンさえ免除されていたそうです。

しかし、森田さんとの出会いが三宅さんの芸能活動に大きな影響を与えました。

森田さんと組んでパフォーマンスをするようになると、二人の息の合った姿に注目が集まりました。

「剛健コンビ」という愛称で呼ばれるようになり、ファンの間で人気を博すようになったのです。

この人気は、V6のデビューにも影響を与えました。

三宅さんがV6加入を迷った際、森田さんの存在が決め手になったことは有名なエピソードです。

二人の関係性は、単なる仲の良さだけでなく、お互いを高め合うライバルでもありました。

三宅さんは、1番や2番を争うような関係になってもいいと考えていたほどです。

このような深い絆と切磋琢磨する関係性が、剛健コンビの魅力の源でした。

二人の活躍は、ジャニーズJr.時代からV6デビュー後まで続き、多くのファンを魅了し続けたのです。

剛健コンビの人気と活躍は、10代の三宅さんにとって大きな財産となりました。

この経験が、のちのV6としての活動や、個人の芸能活動の基盤になったことは間違いないでしょう。

にゃん
にゃん
三宅健さんって、10代の頃からダンスが得意だったの?
わん
わん
実は全然違うんだよ。三宅さん、ジャニーズ入所当初は「YOUはビジュアルでいくから」って言われて、ダンスレッスンを免除されてたんだって。ビジュアル重視で選ばれたんだね。

20代:俳優としての成長

20代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2000年(21歳)
  • ドラマ『バーチャルガール』に主演
  • 舞台『二万七千光年の旅 -世紀末の少年-』で単独初主演
2001年(22歳) ドラマ『ネバーランド』に主演
2003年(24歳)
  • 映画『COSMIC RESCUE』でComing Centuryのメンバーと共に初主演
  • 映画『Hard Luck Hero』にV6のメンバーとして出演
2004年(25歳)
  • 舞台『卒業 -THE GRADUATE-』に出演
  • 映画『サンダーバード』の日本語吹き替えを担当
2005年(26歳)
  • ラジオ番組『三宅健のラヂオ』のパーソナリティを務める
  • 映画『ホールドアップダウン』にV6のメンバーとして出演
2006年(27歳)
  • 映画『親指さがし』で単独初主演
  • 舞台『第32進海丸』に出演
2007年(28歳) 舞台『殺人者』に出演
2008年(29歳) 舞台『第17捕虜収容所』に出演

初主演映画への挑戦

三宅健さんの俳優としての本格的な挑戦は、20代に入ってから始まりました。

2003年、24歳の時に公開された映画「COSMIC RESCUE」で、Coming Centuryのメンバーと共に初主演を果たしたのです。

この作品は、宇宙を舞台にしたSFアクション映画。

三宅さんは宇宙飛行士の卵である江口亮役を演じました。

「初めての映画主演で、しかも宇宙飛行士役。プレッシャーは想像以上でした」と、三宅さんは当時を振り返っています。

撮影中は、無重力空間を表現するためのワイヤーアクションに苦戦したそうです。

「ワイヤーに吊るされて演技するのは想像以上に難しかった」と語っています。

また、宇宙服を着用しての撮影は体力的にもきつく、何度も休憩を取りながらの撮影だったとか。

しかし、こうした苦労を乗り越えて完成した作品は、ファンだけでなく映画ファンからも好評を博しました。

特に三宅さんの真剣な演技と、宇宙飛行士としての成長を描いた演技力が高く評価されました。

この経験は、三宅さんにとって俳優としての自信につながったようです。

「映画主演を経験したことで、演技に対する考え方が変わった」と語っています。

「COSMIC RESCUE」での挑戦は、三宅さんの俳優としてのキャリアの重要な一歩となりました。

この経験を活かし、その後もドラマや舞台で活躍。

アイドルとしてだけでなく、俳優としての三宅健の魅力を多くの人に知ってもらうきっかけとなったのです。

舞台俳優としての評価

三宅健さんの20代は、舞台俳優としての評価が大きく高まった時期でした。

2000年、21歳の時に初めて舞台単独主演を果たした『二万七千光年の旅 -世紀末の少年-』では、無名人役を演じました。

「初めての舞台主演で、台詞の量の多さに戸惑いました」と三宅さんは当時を振り返っています。

しかし、その後の『卒業 -THE GRADUATE-』(2004年)では、ベンジャミン役を熱演。

観客からの評価も高く、舞台俳優としての才能を認められるきっかけとなりました。

特に印象深いのは、2006年の『第32進海丸』での牧野サトル役です。

この作品で三宅さんは、複雑な心理描写を要する役柄に挑戦し、見事に演じ切りました。

「役作りのために、何度も脚本を読み返し、監督と長時間話し合いました」と、役への入り込み方を語っています。

この頃から、三宅さんの舞台俳優としての評価は急上昇。

「アイドルの枠を超えた演技力」「舞台上での存在感が抜群」といった声が、演劇関係者からも聞かれるようになりました。

舞台での経験は、三宅さんの表現力を大きく向上させたようです。

「舞台は一発勝負。その緊張感が、自分を成長させてくれました」と語っています。

20代での舞台経験は、三宅さんにとって俳優としての基礎を築く重要な時期となりました。

アイドルとしてだけでなく、実力派俳優としての評価を確立し、その後の多彩な活動につながっていったのです。

30代:多才な活動の広がり

30代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2010年(31歳) 舞台『ULTRA PURE!』に出演
2011年(32歳)
  • 舞台『ラブリーベイベー』に出演
  • バラエティ番組『アウト×デラックス』に不定期出演開始
2013年(34歳) 舞台『Some Girl(s)』に出演
2014年(35歳)
  • NHK Eテレ『みんなの手話』のナビゲーターを務める
  • ドラマ『ほっとけない魔女たち』に出演
  • 舞台『炎立つ』に出演
2016年(37歳)
  • 舞台『滝沢歌舞伎』に出演(〜2018年)
  • リオパラリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティを務める
2017年(38歳) ドラマ『トットちゃん!』に出演
2018年(39歳)
  • KEN☆Tackyとして滝沢秀明とデュオを結成しデビュー
  • 舞台『二十日鼠と人間』に出演
  • 平昌オリンピック・パラリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティを務める

手話番組ナビゲーターに

三宅健さんの30代で特筆すべき活動の一つが、NHK Eテレの『みんなの手話』のナビゲーター就任です。

きっかけは、8年前のV6の握手会でした。

「ろう者の女性が手話で話しかけてくれたのに、何も答えられなかった」という経験が、三宅さんの心に深く刻まれたのです。

この出来事をきっかけに、三宅さんは独学で手話を学び始めました。

地域の手話講習会に通い、週1回2時間の講座を3年間続けたそうです。

主婦層の方々に囲まれながら、真剣に勉強に励んだといいます。

そんな三宅さんの努力が実を結び、2014年4月から『みんなの手話』のナビゲーターを務めることになりました。

番組では、講師と三宅さんのかけあいを楽しみながら手話を学べる構成になっています。

三宅さんは「ブランクもあるので、視聴者と一緒に1から学んでいければ」と意気込みを語っています。

自身の経験を活かし、手話初心者の視点に立って番組を進行する姿勢が好評を博しました。

また、この活動を通じて、三宅さんは障害者支援にも関心を持つようになりました。

2016年のリオパラリンピック、2018年の平昌オリンピック・パラリンピック、2021年の東京オリンピックでは、NHKのユニバーサル番組のメインパーソナリティを務めています。

三宅さんの30代は、アイドルとしての活動だけでなく、社会貢献活動にも力を入れた時期でした。

手話番組のナビゲーターとしての活動は、三宅さんの新たな一面を多くの人に知ってもらうきっかけとなったのです。

にゃん
にゃん
三宅健さんって、30代の頃にオリンピック関連の仕事してたの?
わん
わん
そうなんだよ。三宅さんは2016年のリオパラリンピック、2018年の平昌オリンピック・パラリンピック、そして2021年の東京オリンピックでNHKのユニバーサル番組のメインパーソナリティを務めたんだ。手話の勉強を活かせる素敵な機会だったんだね。

バラエティでの人気上昇

三宅健さんの30代は、バラエティ番組での活躍が目立ちました。

特に『アウト×デラックス』への出演が、三宅さんの新たな魅力を引き出すきっかけとなったのです。

「最近、岡田准一が膝の上に乗せてくれない」という意外な告白や、「ハマっている携帯ゲームをやりながらラジオ収録をした」といった驚きの発言で、視聴者の注目を集めました。

さらに、マツコ・デラックスさんの膝の上に乗るなど、予想外の行動で笑いを誘いました。

この自由奔放な姿勢が、「さすが、世界の健ちゃん」「孤高の天才」と絶賛されたのです。

三宅さんは、こうしたバラエティでの姿について、「素の自分を出すようにしています」と語っています。

決して作られたキャラクターではなく、ありのままの自分を見せることで、視聴者の共感を得ているようです。

また、『月曜から夜ふかし』では、MCの村上信五さんに対して「なんか空回りしてるね」とストレートな意見を述べるなど、遠慮のない発言でも話題になりました。

三宅さんのこうした率直な言動は、「媚びない」「素直」といった評価につながり、新たなファン層の獲得にも成功しています。

バラエティ番組での活躍は、三宅さんのキャリアに新たな側面を加えました。

アイドルや俳優としてのイメージだけでなく、等身大の魅力的な人物として多くの人に親しまれるようになったのです。

三宅さんの30代は、バラエティ番組を通じて自身の魅力を再発見し、より多様な活動へと広がっていった時期だったと言えるでしょう。

40代:新たなキャリアの挑戦

40代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2019年(40歳)
  • ドラマ『セミオトコ』に主演
  • 舞台『六本木歌舞伎 第3弾「羅生門」』に出演
  • アニメ『ONE PIECE』に声優として出演
2021年(42歳)
  • 舞台『藪原検校』に出演
  • ドラマ『黒鳥の湖』に出演
  • 東京オリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティを務める
  • V6が解散
2022年(43歳)
  • 舞台『陰陽師 生成り姫』に主演
  • 初のソロツアー『NEWWW Live Tour 2022』を開催
  • ソロデビューミニアルバム『NEWWW』をリリース
2023年(44歳)
  • 5月2日:ジャニーズ事務所を退所
  • 7月2日:TOBEに移籍
  • YouTubeチャンネル「KEN MIYAKE」を開設
  • 舞台『ミナト町純情オセロ〜月がとっても慕情篇〜』に出演
2024年(45歳)
  • 6月5日:TOBE移籍後初のアルバム『THE iDOL』をリリース
  • 6月22日・23日:単独コンサート『2024 Live Performance The Otherside : Another Me』を開催
  • ラジオ番組『三宅健のラヂオ』のパーソナリティを継続

KEN☆Tackyでの再デビュー

三宅健さんの40代に入ってからの大きな出来事の一つが、KEN☆Tackyとしての再デビューでした。

2018年、タッキー&翼の滝沢秀明さんとのユニット結成は、多くのファンを驚かせました。

「40代でのデビューは不安もありましたが、新しい挑戦への期待が大きかった」と三宅さんは語っています。

7月18日に「逆転ラバーズ」でデビューを果たし、ベテランアイドルの新たな挑戦として話題を呼びました。

KEN☆Tackyの活動では、二人の経験を活かしつつも、新鮮な魅力を引き出すことを意識したそうです。

特に印象的だったのは、三宅さんの誕生日である7月2日に行われたイベントで、2時間半休憩なしで踊り続けたエピソード。

「40代とは思えない体力と気力が必要でした」と振り返っています。

ユニット名の由来も興味深く、ファンを”Ms.ビスケット”と呼ぶことに決めました。

「KEN☆Tackyがハチミツで、ファンがビスケットという甘い関係性をイメージしました」と三宅さんは説明しています。

この再デビューは、三宅さんにとって新たな挑戦の場となりました。

V6やソロ活動とは異なる魅力を発揮し、40代のアイドルとしての可能性を広げることができたのです。

KEN☆Tackyの活動は、三宅さんのキャリアに新たな彩りを添えました。

長年のアイドル経験を活かしつつ、フレッシュな魅力を発信し続ける三宅さんの姿勢は、多くのファンの心を掴んだのでした。

にゃん
にゃん
三宅健さんって、40代になってからYouTubeやってるの?
わん
わん
そうなんだよ!三宅さん、TOBEに移籍してから「KEN MIYAKE」っていうYouTubeチャンネルを始めたんだ。毎週火曜日に『健ちゃんの食卓』、木曜日に『三宅健のゆるりと生配信』をやってるんだって。新しい一面が見られて面白そうだよね。

ジャニーズ退所とTOBE移籍

2023年2月20日、三宅健さんがジャニーズ事務所を退所することが発表されました。

5月2日をもって正式に退所し、長年所属していた事務所を去ることになったのです。

退所日当日、三宅さんはファンとの絆を大切にする姿勢を示しました。

深夜0時直前まで続いたインスタライブで、ファンとの交流を惜しむように語り合いました。

「ファンの皆さんとの絆は変わらない」という言葉に、多くのファンが励まされたことでしょう。

その後、三宅さんは充電期間を設けると発表。

「一からさまざまなことに挑戦していく次のステージへ向かう」という言葉から、新たな挑戦への意欲が感じられました。

そして2023年7月2日、三宅さんは大きな決断をします。

滝沢秀明さんが設立したエンターテインメント会社TOBEへの合流を発表したのです。

この決断について三宅さんは、「新しい環境で自分の可能性を広げたい」と語りました。

TOBE移籍後、三宅さんの活動はさらに広がりを見せます。

YouTubeチャンネル「KEN MIYAKE」を開設し、毎週火曜日には『健ちゃんの食卓』、木曜日には『三宅健のゆるりと生配信』を配信。

ジャニーズ時代には見られなかった新たな一面を見せ始めました。

2024年6月5日には、TOBE移籍後初のアルバム『THE iDOL』をリリース。

このアルバムについて三宅さんは、「これまでの経験を活かしつつ、新しい自分を表現できた」と語っています。

三宅さんのジャニーズ退所とTOBE移籍は、彼のキャリアに新たな展開をもたらしました。

40代に入ってからの大きな決断は、三宅さんの更なる成長と新たな魅力の発見につながっているようです。

にゃん
にゃん
三宅健さん、40代でもライブパフォーマンスすごいんでしょ?
わん
わん
うん、すごいんだよ!2024年の誕生日コンサートで、三宅さんが2時間半休憩なしで踊り続けたって。40代とは思えない体力と気力だって本人も言ってたんだ。ストイックさは健在みたいだね。

三宅健の若い頃〜現在:結婚観や私生活はどうなの?

結婚観と私生活の一端

三宅健さんの結婚観と私生活について、興味深い一面が明らかになっています。

2024年9月24日放送の『踊る!さんま御殿!!』で、三宅さんは結婚しない理由を語りました。

「1人で生きられる派」だと自認する三宅さん。

家事へのこだわりが強く、特に掃除や洗濯を人に任せられないと言います。

例えば、シンクや水回りは使用後必ず拭き取り、除湿機を10台ほど設置して頻繁に水を交換するそうです。

靴も下駄箱に入れる際は裏を拭くなど、徹底したこだわりぶりが伺えます。

一方で、結婚願望がないわけではありません。

2022年12月の『ダウンタウンDX』では、「結婚できたらしたいですね」「今年のお正月1人で過ごしたんで寂しかったです」と本音を漏らしていました。

三宅さんの恋愛事情も注目されています。

2019年頃からモデルで女優の比留川游さんとの交際が報じられ、都内の一軒家で同棲状態にあるとも言われています。

しかし、2023年のジャニーズ事務所退所後も結婚の発表はありません。

三宅さんは慎重に人生の選択をしているようです。

私生活では、人に相談することが苦手だとも語っています。

「だいたい人に相談する人って答えは出てるわけですよ」と、自分で決断することを大切にしているようです。

三宅さんの結婚観と私生活の一端からは、自立心が強く、自分のペースを大切にする姿勢が見えてきます。

アイドルとしての活動を続けながら、プライベートでも自分らしさを貫く三宅さんの姿勢は、多くの人々の共感を呼んでいるのではないでしょうか。

アイドルとしての覚悟と進化

三宅健さんは、ジャニーズ退所後もアイドルとしての道を歩み続けることを決意しました。

「グループが解散してもなお、私にとっての職業はアイドルです」という言葉からは、アイドルとしての強い覚悟が感じられます。

2023年、TOBEに移籍した三宅さんは、新たな「アイドル像」を描いていくことを表明しました。

その姿勢は、6月5日にリリースされたアルバム『THE iDOL』にも表れています。

豪華アーティストによる提供楽曲と、進化し続ける三宅さんの表現力が詰まった作品となりました。

さらに、2024年6月22日・23日には東京・有明アリーナにて単独コンサート『2024 Live Performance The Otherside : Another Me Presented by KEN MIYAKE』を開催。

ここでも、三宅さんの新たな一面が披露されたことでしょう。

三宅さんのアイドル観は、ファンとの関係性にも表れています。

「ファンの方々のこと……お互いの人生のことも考えなきゃな」という言葉からは、ファンとの深い絆を大切にする姿勢が伝わってきます。

一方で、三宅さんは進化の必要性も感じています。

「ファンの方が期待して求めている姿ではないかもしれない」と前置きしつつ、「それは自分の中での進化であって、ファンの方たちも一緒に前に進んでいこうよ」という想いを語っています。

三宅さんのアイドルとしての覚悟と進化への挑戦は、40代を過ぎてもなお続いています。

ファンとの絆を大切にしながら、新たな表現を追求する姿勢は、多くの人々に感銘を与えているのではないでしょうか。

三宅健のプロフィール

項目 プロフィール
名前 三宅 健(みやけ けん)
生年月日 1979年7月2日
出身地 神奈川県
身長 164 cm
血液型 O型
職業
  • アイドル
  • 俳優
  • 歌手
  • タレント
所属事務所 TOBE(2023年7月 – )
主な経歴
  • 1993年:ジャニーズ事務所入所
  • 1995年:V6としてデビュー
  • 2018年:KEN☆Tackyとしてデビュー
  • 2023年5月:ジャニーズ事務所退所
  • 2023年7月:TOBEに移籍
代表作
  • ドラマ『名探偵 保健室のオバさん』(1997年)
  • 映画『COSMIC RESCUE』(2003年)
  • 舞台『滝沢歌舞伎』(2016 – 2018年)
  • ドラマ『セミオトコ』(2019年)

三宅健は若い頃にド直球の決断!ジャニー社長に衝撃のNOを突きつけた理由!:まとめ

三宅健さんの若い頃から現在までの活躍は、アイドルとしての成功だけでなく、俳優や舞台人としての成長も含む多彩なものでした。

14歳でジャニーズ事務所に入所し、16歳でV6としてデビューした三宅さんは、20代で俳優としての評価を高め、30代では手話番組のナビゲーターを務めるなど、新たな一面を見せました。

40代に入ってからは、KEN☆Tackyとしての再デビューや、ジャニーズ事務所退所後のTOBE移籍など、大きな転機を迎えています。

アイドルとしての覚悟を持ち続けながら、新たな表現に挑戦し続ける三宅さんの姿勢は、多くのファンに支持されています。

私生活では結婚願望を持ちながらも、自立心の強さから1人の時間も大切にしている様子が伺えます。