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桃井かおりは若い頃に波乱の家出と腎臓摘出!50回のNG地獄も!

桃井かおりさんは、若い頃からその独自の存在感で、多くの人々を魅了してきました。

映画デビューや女優としての厳しい道のり、ファッションや演技スタイルが当時の若者に与えた影響など、さまざまな側面を深く掘り下げています。

当記事を読めば、桃井かおりさんの若い頃から現在に至るまでの波乱万丈な人生と、その魅力を知ることができますよ!

当記事で主に以下の内容をまとめています。

  • 桃井かおりさんの**若い頃の映画デビュー**とその経緯がわかる
  • 20代での波乱万丈な**俳優としてのスタート**と家族との葛藤が理解できる
  • 彼女が当時の若者たちに与えた**アンニュイな雰囲気**の影響が学べる
  • **映画『幸福の黄色いハンカチ』**での演技とキャリアの転機について知ることができる
  • 若い頃の恋愛遍歴や**波乱のエピソード**が明かされている

桃井かおりの若い頃:主な活動歴や受賞歴

20〜30代の活動:独特の存在感で人気急上昇

20〜30代の主な活動

西暦(年齢) 主な活動歴
1971年(20歳)
  • 映画『愛ふたたび』で浅丘ルリ子の妹役でデビュー
  • 映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』でヒロイン役を演じる
1972年(21歳) 文学座を退団
1975年(24歳) ドラマ『前略おふくろ様』の海役で人気に火が付く
1977年(26歳) 映画『幸福の黄色いハンカチ』に出演し、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞
1979年(28歳)
  • 映画『もう頬づえはつかない』で映画初主演
  • 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞
1980年(29歳) 黒澤明監督の映画『影武者』に出演
1982年(31歳) 映画『疑惑』に出演
1988年(37歳) 映画『木村家の人びと』に出演

20代で映画デビューし注目を集める

桃井かおりさんは、20歳で映画『愛ふたたび』にて浅丘ルリ子さんの妹役でデビューを飾りました。

しかし、本格的な映画デビューとなったのは、同年公開のATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』でのヒロイン役でした。

この作品での共演者との関わりは、桃井さんにとって印象深いものだったようです。

彼女は、共演した石橋蓮司さんと緑魔子さんに徹底的にしごかれ、深く傷ついたと語っています。

その経験から逃避行を決意し、広島を経て江田島に渡り、地元の飲食店で住み込みで働いたそうです。

この映画出演が両親に知られ、父親から勘当を言い渡されたことで家出をしたという、波乱の幕開けとなりました。

4ヶ月後、「かおり許す、父」という新聞の伝言を目にして家に戻ることはできたものの、元の生活には戻れないと感じ、再び女優としての活動を開始したのです。

桃井さんは、この時期を振り返り、「文学座をやめるかこの映画撮るかって相談したのが、恋愛時代をすごしてた頃の優作だった」と語っています。

これは、当時の彼女の心境や、周囲の人々との関係性を垣間見せるエピソードといえるでしょう。

このように、20代の桃井さんは、映画デビューとともに、俳優としての厳しさや家族との葛藤を経験しながら、独自の道を切り開いていったのです。

アンニュイな雰囲気で若者の支持獲得

1970年代後半、桃井かおりさんは独特のアンニュイな雰囲気で若者の心を掴みました。

特に1979年公開の映画『もう頬づえはつかない』で、桃井さんは主演を務め、その存在感を大いに発揮したのです。

この作品で、桃井さんは早稲田大学文学部に通う女子大生・まり子を演じました。

当時はまだ学生紛争の名残りがある中、桃井さんは気怠げでありながらも、性に奔放な女性像を体現しました。

映画のオープニングシーンでは、男子禁制のアパートの窓から顔を出して外を見つめる桃井さんの姿が印象的でした。

また、彼氏に体を求められた後、けだるげにタバコを吸うシーンは、当時としては斬新な男女逆転の描写だったそうです。

桃井さんの演技は、自立を目指す女子たちの憧れとなりました。

「けだるい」を意味する「アンニュイ」という言葉が、桃井さんを象徴するワードとして流行したほどです。

これは、同年にデビューした松田聖子さんの「ぶりっ子」イメージと対照的でした。

桃井さんのファッションも注目を集めました。

時にはお嬢様風のワンピースを着こなし、またある時はジーンズとVネックのインナーにトレンチコートを無造作に着た姿で歩く姿は、多くの女性たちから「カッコいい」と真似されたそうです。

このように、桃井さんは従来の女優像とは一線を画す存在感で、若者たちの心を掴み、1970年代から80年代にかけて一世を風靡したのです。

にゃん
にゃん
桃井かおりさんは20代の頃、腎臓を摘出したって本当?
わん
わん
うん、本当だよ。20代前半の時、撮影中に腹部の違和感を感じて、山道で倒れちゃったんだって。幸運にもトラックの運転手に救出されて、検査の結果、腎臓結核と分かったんだ。片方の腎臓を摘出する手術を受けたんだよ。

『幸福の黄色いハンカチ』で高評価

1977年に公開された『幸福の黄色いハンカチ』は、桃井かおりさんのキャリアにおいて重要な転機となりました。

山田洋次監督のもと、高倉健さん、武田鉄矢さんと共演したこの作品で、桃井さんは新たな一面を見せることができたのです。

撮影現場では、桃井さんにとって印象深いエピソードがありました。

彼女は50回以上もNGを出し、悩んでいた時期があったそうです。

そんな中、共演の武田鉄矢さんから「いい日もあるから」と励まされたものの、その言葉に逆に腹が立ったと語っています。

桃井さんは、この時の心境をこう表現しています。

「自分が調子がいいからって、本当に腹が立った。山田監督にほめられて図に乗る人を見ると、許せない気持ちになった」と。

この言葉からは、彼女の真摯な姿勢と、完璧を求める厳しさが伝わってきます。

しかし、そんな苦労の末に完成した作品は、桃井さんのそれまでのイメージとは異なる魅力を引き出し、高い評価を得ることになりました

第1回日本アカデミー賞助演女優賞やブルーリボン賞を受賞するなど、その演技力が認められたのです。

現在でも桃井さんは、この作品を自身のキャリアの中で非常に重要な位置づけにあると考えています。

後年、ハリウッドでリメイクされた際にも特別出演を果たすなど、『幸福の黄色いハンカチ』は桃井さんにとって特別な作品であり続けているのです。

40〜50代の活動:国内外で活躍の場を広げる

40〜50代の主な活動

西暦(年齢) 主な活動歴
1991年(40歳) オムニバス映画『ご挨拶』の第3話で映画監督デビュー(モモイ・カオリ名義)
2001年(50歳)
  • ドラマ『R-17』に出演
  • ドラマ『ビューティ7』に出演
2004年(53歳) 父親の死をきっかけに海外進出を決意
2005年(54歳)
  • ハリウッド映画『SAYURI』に出演
  • ロサンゼルスに拠点を移す
2006年(55歳)
  • アメリカ合衆国映画俳優組合に加入
  • 長編映画『無花果の顔』で長編監督デビュー
2008年(57歳) 紫綬褒章を受章(芸術文化部門)
2009年(58歳) 女子美術大学・女子美術大学短期大学部客員教授に就任

ハリウッド映画『SAYURI』に出演

2005年、桃井かおりさんは54歳でハリウッド映画『SAYURI』に出演し、新たなキャリアの扉を開きました。

この出演は、彼女の人生に大きな転機をもたらしました。

桃井さんは、この機会について興味深いエピソードを語っています。

父親の死を乗り越えるために、より厳しい状況に身を置くことを決意したそうです。

そこで、ハリウッド映画のオーディションを次々に受けることにしたのです。

『SAYURI』への出演が決まった時、桃井さんは複雑な思いを抱いていました。

「LAに拠点を移したのは欲をかいていたのではなく、上手くフェイドアウトするためだった」と語っています。

日本では年齢を重ねた女優が厳しい立場に置かれることを懸念し、ある程度自分で定年を決めなければならないと考えていたのです。

しかし、予想に反して、この挑戦は彼女のキャリアに新たな可能性をもたらしました。

桃井さんは、ハリウッドでの経験について「向こうに住み始めた年に映画を撮影し、それがベルリン国際映画祭の作品として選ばれた」と振り返っています。

この経験を通じて、桃井さんは国際的な舞台で活躍する道を見出しました。

『SAYURI』への出演は、彼女のキャリアの転換点となり、その後の国際的な活動への足がかりとなったのです。

54歳でLAに拠点を移し新たな挑戦

桃井かおりさんは54歳でロサンゼルスに拠点を移し、新たな挑戦を始めました。

この決断は、彼女のキャリアに予想外の展開をもたらしました。

LAでの生活は、桃井さんにとって全く新しい経験の連続でした

彼女は、初めてオーディションを受けることになり、それまでの日本での経験とは異なる環境に身を置くことになったのです。

桃井さんは、この時期を振り返り、興味深いエピソードを語っています。

「日本人って人前でうなずいてばかりいる妙な人たちって思われていた中で、大丈夫な日本人が来たと言われた」そうです。

これは、彼女のYES/NOがはっきりしていたことや、表情豊かなコミュニケーションが評価されたためだと言います。

また、桃井さんは自身の立ち位置について、「無名でなんの権力もない人が言っているから、いいアイデアならもらうって感じ」と語っています。

これは、彼女が新しい環境で謙虚に、しかし自信を持って自分の意見を発信していたことを示しています。

さらに、LAでの生活で彼女が重宝されるようになったのは、意外にも「英語を喋れる日本人の婆さん」としての立ち位置だったそうです。

このユニークな需要が、彼女の新たな可能性を開いたのです。

桃井さんのLA移住は、当初は引退を視野に入れたものでしたが、結果として彼女のキャリアに新たな息吹を吹き込むことになりました。

この経験は、年齢に関係なく新しいことに挑戦することの価値を示しています。

にゃん
にゃん
桃井かおりさんって50歳の時に何か特別なことあったの?
わん
わん
そうそう、50歳の誕生日に面白いことがあったんだよ。ドラマのロケ中に校庭で初めて逆上がりができたんだって。「50歳、なんかいけるぞ!」って思ったらしいよ。それがきっかけでアメリカに挑戦する気になったんだって。

映画監督としてのキャリアをスタート

桃井かおりさんは、50代半ばで映画監督としての新たなキャリアをスタートさせました。

2006年、彼女は長編映画『無花果の顔』で監督デビューを果たしたのです。

この作品は、実は桃井さんが27歳の頃に書いたエッセイが原案になっています。

彼女は、この経緯について興味深いエピソードを語っています。

「連載用に長編を書きたかったけど、構成力がなくて。編集者に相談したら、エッセイをつなげてみろって言われたの」と振り返ります。

そして、適当に番号をつけてシャッフルしたら「斬新な構成だ!」と褒められたそうです。

映画の内容は、日常が活性化するようなものを目指したと桃井さんは語ります。

「今が楽しければ長生きしたくなるんじゃないかっていう映画を撮りたかった」という思いが込められています。

監督として作品を作る中で、桃井さんは俳優としての経験を活かしつつ、新たな挑戦も行いました。

例えば、お笑いタレントの山田花子さんを起用し、プロもアマも同じやり方で演出することで、新鮮な演技を引き出そうとしたそうです。

さらに、撮影シーンの細かい説明をせずに撮影を行うなど、俳優の自然な反応を引き出す工夫も行いました。

これにより、予想外の演技や表現が生まれ、作品に深みを与えることができたと語っています。

このように、桃井さんは俳優としての経験を活かしながら、監督として新たな表現方法を模索し、独自の作品作りを行っていったのです。

60代以降の活動:年齢を重ねて更なる飛躍

60代以降の主な活動

西暦(年齢) 主な活動歴
2015年(64歳)
  • 音楽プロデューサーの宇都宮一生さんと結婚
  • 映画『火 Hee』の監督・主演を務める
2016年(65歳) 映画『ふたりの旅路』に主演
2020年(69歳) 映画『一度も撃ってません』に出演
2021年(70歳)
  • ドラマ『緊急取調室 第4シリーズ』に出演
  • 日本アカデミー賞助演女優賞を受賞(『一度も撃ってません』)
2022年(71歳) 旭日小綬章を受章
2023年(72歳) 第6回種田山頭火賞を受賞

64歳で結婚し新たな人生のステージへ

桃井かおりさんは、64歳という人生の転換期に結婚を決意しました。

この決断は、彼女の人生に新たな彩りを添えることとなったのです。

結婚相手は、実は9歳の頃から知っていた幼なじみだったそうです。

桃井さんは、この出会いについて印象的なエピソードを語っています。

「もうすぐにわかりましたよ。この人と多分死ぬまで一緒にいたいなって」と、直感的な確信があったようです。

しかし、その決断までの道のりは平坦ではありませんでした。

桃井さんは、自身の複雑な心境をこう表現しています。

「嫌なんだろうな、桃井かおりを引き取るのは…と思っちゃうじゃない。

やっぱり怖がりだからさ」と、自身の名声や経歴が障害になるのではないかと不安を感じていたそうです。

そんな中、決定的な瞬間が訪れました。

「後ろからコイツ〜って抱きしめてみたわけ。アタシが『エビ!』って言ったら丸まって『トロ!』って言ったのよ」というエピソードを桃井さんは笑顔で語ります。

この何気ない遊び心のあるやりとりが、彼女の心を決定的に動かしたのです。

桃井さんは、この人こそが「純粋なアタシを知ってるただ一人の人」だと気づいたそうです。

初恋の人でもあったという相手と、64歳にして新たな人生のステージに踏み出すことになりました。

この結婚は、桃井さんにとって単なるパートナーシップ以上の意味を持っています。

それは、自分自身の本質を理解し、受け入れてくれる人との出会いであり、新たな自己発見の旅の始まりでもあったのです。

70代でも精力的に映画やドラマに出演

桃井かおりさんは、70代に入ってもなお精力的に映画やドラマに出演し続けています。

彼女の活動は、年齢を重ねても衰えることのない情熱と才能を示しています。

2021年、桃井さんは70歳で『緊急取調室』第4シリーズに出演しました。

この役での彼女の演技は、多くの視聴者の心を掴みました。

桃井さんは、この経験について「年を重ねることで、新たな役柄にも挑戦できるようになった」と語っています

また、映画『一度も撃ってません』では元ミュージカル女優を演じ、その演技が高く評価されました。

この作品で桃井さんは、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。

「70代になって受賞できるなんて、まさに人生何が起こるかわからないですね」と、喜びを隠さず語っています

さらに、桃井さんは自身のインスタグラムで日々の生活や料理の様子を公開し、フォロワーとの交流も大切にしています。

彼女は「コロナ禍で初めて誰かと繋がりたいと本気で願い、コツコツとインスタを続けた」と、その思いを語っています。

このように、桃井さんは70代になっても新しいことに挑戦し続け、俳優としてだけでなく、一人の人間としても成長を続けています。

彼女の姿勢は、年齢に関係なく挑戦し続けることの大切さを私たちに教えてくれています。

独自の美学と生き方で後進に影響を与える

桃井かおりさんは、60代以降も独自の美学と生き方を貫き、多くの後進に影響を与え続けています。

彼女の言動は、年齢を重ねることの価値を再定義し、社会に新たな視点を提供しているのです。

桃井さんは、美しさについて独特の考えを持っています。

「60の女が若く見えることを”嬉しい”というのは悲しい話であって。60の女としてこれがベスト、と言えるのがいい」と語り、年齢を重ねることの美しさを強調しています。

また、彼女は若い世代への期待も語っています。

「多様化する価値観に生きる若者が頼もしい」と述べ、オリジナリティの強さに注目しています。

桃井さんは、若者たちが普通であることに飽きている様子を感じ取り、それを肯定的に捉えているのです。

さらに、桃井さんは創作活動についても独自の見解を示しています。

「芸術は多数決じゃないから。アンチ多数決で『これは誰もやってなかった』と気がつく点があるかどうかがアートなのよ」と語り、既存の枠にとらわれない創造性の重要性を説いています。

このような桃井さんの姿勢は、若い世代のクリエイターたちに大きな影響を与えています。

彼女の言葉は、年齢に関係なく自分らしさを追求することの大切さを教えてくれるのです。

桃井さんの生き方は、年齢を重ねることを恐れるのではなく、むしろその過程を楽しみ、常に新しい挑戦を続けることの素晴らしさを体現しています。

彼女の存在そのものが、後進たちにとって大きな励みとなっているのです。

桃井かおりの若い頃〜現在:波乱万丈の恋愛人生

若き日の華麗な恋愛遍歴

桃井かおりさんの若き日の恋愛遍歴は、まさに波乱万丈でした。

その華麗な交際相手のリストには、芸能界の大物たちの名前が並んでいます。

荒木一郎さん、つかこうへいさん、伊集院静さん、萩原健一さん、松田優作さんなど、錚々たる顔ぶれが桃井さんの元恋人として知られています。

特に伊集院静さんとの熱愛報道は、夏目雅子さんとの三角関係として世間を賑わせました。

桃井さんの恋愛スタイルは奔放そのもの。

30代の頃には10代の若者と交際したこともあるそうです。

さらに、アメリカ人との恋愛経験もあり、国境を越えた恋愛も経験しています。

独身時代には3回の婚約を経験し、そのうち1回は結婚式の1週間前に破局するという劇的な展開もありました。

この経験は、桃井さんの人生観や恋愛観に大きな影響を与えたことでしょう。

2023年から2024年にかけて、桃井さんは過去の恋愛経験を振り返るインタビューに応じています。

そこで彼女は、若い頃の恋愛の苦い経験が、現在の幸せな結婚生活につながっていると語っています。

このような波乱に富んだ恋愛遍歴を経て、桃井さんは最終的に幼なじみと結ばれることになります。

彼女の人生は、まさに一つの壮大なラブストーリーと言えるでしょう。

にゃん
にゃん
桃井かおりさんの恋愛遍歴で何か面白いエピソードある?
わん
わん
あるよ!荒木一郎さんとの破局の時のエピソードがすごいんだ。桃井さん、「今日は暴れていい?」って言って、それまで使ってた映画のロケセットをメチャクチャに破壊して帰ったんだって。激しい性格が出てるよね。

64歳で幼なじみと結ばれるまで

桃井かおりさんと宇都宮一生さんの出会いは、実に運命的なものでした。

二人は9歳の頃、ロンドンで初めて出会いました。

桃井さんの父親がロンドン大学に赴任したことがきっかけで、現地の学校で同級生となったのです。

その後、35年もの歳月が流れ、二人は偶然にもアメリカで再会します。

これをきっかけに交際が始まり、9年間の同棲生活を経て、ついに結婚に至りました。

プロポーズは桃井さんから。

「あたしたちも64(歳)だし、(もうすぐ)6月4日は来るし、ここでどう?」という言葉で、結婚を持ちかけたそうです。

このユニークなプロポーズは、桃井さんらしい自由な発想が感じられます。

2023年から2024年にかけて、桃井さんは様々なメディアで結婚生活について語っています。

「別れる気がしない」「どんどん好きになっていく」と、幼なじみとの結婚生活の幸せを率直に表現しています。

また、宇都宮さんについて「良い人の魅力に気がついちゃった」と語る桃井さん。

華やかな恋愛遍歴を持つ彼女が、最終的に選んだのは「良い人」だったという事実は、多くの人々の心を打ちました。

64歳での結婚は、桃井さんの人生における新たな章の始まりとなりました。

幼なじみとの再会から結婚に至るまでの物語は、まるで映画のようなロマンスであり、多くの人々に希望を与えています。

結婚後の幸せな夫婦生活

桃井かおりさんと宇都宮一生さんの結婚後の生活は、まさに幸せそのものです。

二人はロサンゼルスを拠点に、穏やかで充実した日々を過ごしています。

桃井さんは自身のインスタグラムで、夫婦の日常生活を頻繁に投稿しています。

料理の写真や、二人の会話の様子などが綴られており、フォロワーたちから温かい反応を得ています。

2023年から2024年にかけて、桃井さんは様々なインタビューで結婚生活について語っています。

「嫌だなと思っていたことが大丈夫になっていく」「どんどん好きになっていく」といった言葉からは、夫婦の絆が日々深まっていく様子が伝わってきます。

また、桃井さんは夫の宇都宮さんについて「善良とか正しいとか」と評し、「良い人の魅力に気がついちゃった」と率直に語っています。

これまでの華やかな恋愛遍歴とは異なる、落ち着いた幸せを感じさせる言葉です。

夫婦二人の生活は、仕事と私生活のバランスが取れているようです。

桃井さんは女優としての活動を続けながら、夫の仕事にも理解を示しています。

宇都宮さんは音楽プロデューサーとして国際的に活躍しており、二人で世界を股にかけた生活を楽しんでいるようです。

結婚生活を通じて、桃井さんの人生観や価値観にも変化が見られます。

以前は「良い人」があまり好みではなかったと語っていましたが、今では良い人の魅力を実感しているとのこと。

この経験は、彼女の演技や作品にも新たな深みを与えているかもしれません。

桃井さんと宇都宮さんの結婚生活は、年齢を重ねてからの新たな人生の可能性を示す好例となっています。

二人の幸せな姿は、多くの人々に希望と勇気を与えているのです。

桃井かおりのプロフィール

項目 プロフィール
本名 宇都宮かおり
生年月日 1951年4月8日
出身地 東京都世田谷区
身長 162 cm
血液型 O型
職業
  • 女優
  • 映画監督
  • プロデューサー
  • 女子美術大学客員教授
活動期間 1971年 – 現在
配偶者 宇都宮一生(2015年 – )
主な受賞歴
  • 紫綬褒章(2008年)
  • 旭日小綬章(2022年)
  • 第6回種田山頭火賞(2023年)

桃井かおりは若い頃に波乱の家出と腎臓摘出!50回のNG地獄も!:まとめ

桃井かおりさんは、20代の頃からその独特な存在感で注目を集めてきました。

20歳で映画『愛ふたたび』にてデビューを果たし、以降、数々の作品で重要な役を演じてきました。

特に1977年の映画『幸福の黄色いハンカチ』での演技は大きな転機となり、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しています。

桃井さんは、そのアンニュイな雰囲気や自立した女性像を体現し、当時の若者たちから強い支持を得ました。

彼女の演技やファッションは多くの女性に影響を与え、「けだるい」を意味する「アンニュイ」という言葉が流行するほどでした。

厳しい俳優としての道を歩みながらも、挑戦を続け、40代以降には映画監督としても活躍。

現在もなお、桃井さんは年齢を超えて輝き続けています。