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役者

岡部たかしの若い頃はアルバイト地獄!十二指腸潰瘍と戦った下積み時代!

この記事では、個性派俳優として知られる岡部たかしさんの若い頃から現在までの軌跡を辿ります。

24歳で上京してから、劇団での苦悩、30代のアルバイトと俳優業の両立、そして40代以降のブレイクまで、岡部さんの半生を詳しく紹介しています。

当記事を読めば、岡部たかしさんが若い頃から培ってきた俳優としてのプロセスと、その独特の演技スタイルが確立されていった経緯を知ることができますよ!

当記事で主に以下の内容をまとめています。

  • 岡部たかしさんの20代での上京と劇団入団の経緯
  • 30代での演劇活動の深化と転機
  • アルバイトと俳優業を両立させていた時期の苦労
  • 40代以降のドラマでのブレイク
  • 息子との共演経験と親子関係の変化

岡部たかしの若い頃:主な活動歴や受賞歴

20代の活動

20代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
1996年(24歳)
  • 上京
  • 劇団東京乾電池の研究生オーディションに合格
1997年(25歳)
  • 劇団東京乾電池の卒業公演で脚本・演出・主演を担当
  • 正式に劇団員として認められる
1998年(26歳)
  • テレビドラマ『走れ公務員!』(フジテレビ系列)で俳優デビュー
  • 結婚
2000年(28歳)
  • 息子誕生
  • 劇団東京乾電池を退団

上京と劇団入団の経緯

岡部たかしさんは24歳のとき、1996年に上京しました。それまでは和歌山で過ごしていたのです。

上京のきっかけは、当時付き合っていた彼女の後押しでした。彼女は岡部さんの5歳年上で、美容師をしていました。

岡部さんが東京に行きたいと漠然と話すと、彼女は「私も一緒に行く。やりたいことやったほうがいい」と背中を押してくれたそうです。この一言が、岡部さんの人生を大きく変えることになりました。

上京後、岡部さんは柄本明さんが座長を務める「劇団東京乾電池」の研究生オーディションを受けました。オーディションでは、柄本さんの前で即興劇を披露し、特技として尾崎豊さんのモノマネを熱唱したそうです。

岡部さんは、「真剣に歌っているのに、柄本さんたちがずっと笑っていた」と振り返ります。しかし、最後まで歌い切ったことが評価されたのか、無事に合格しました。

岡部さんが「劇団東京乾電池」を選んだ理由は、月謝が1万円と安かったからだそう。実は、芸能界のことをよく知らないまま俳優を目指したのです。

上京前、大阪で柄本さんの舞台を観て衝撃を受けたことも、この劇団を選んだ理由の一つでした。それまでの舞台のイメージとは全く違う、小さな声でボソボソ話す演技に「こんな世界があるのか」と感動したのです。

にゃん
にゃん
岡部たかしさんって、20代の頃に、演歌歌手になるお別れ会の脚本を書いたんだって?
わん
わん
そうなんだよ!劇団の中間発表で15分くらいの台本を書いたんだって。和歌山を舞台に、岡部さんが演歌歌手になってみんながお別れ会を開く話だったらしいよ。最後にみかん箱を見ながら泣くっていう、ちょっと不条理な感じの内容だったみたい(笑)

初期の舞台経験と苦悩

岡部たかしさんの劇団入団後の1年間は、勉強と練習の日々でした。経験がないにもかかわらず、短い台本を自分たちで書いて発表する機会もあったそうです。

研修生時代の集大成として、卒業公演がありました。岡部さんは台本も担当することになりましたが、これが大変な苦労となったのです。

台本がなかなか書けず、プレッシャーで体重が52キロまで落ちてしまいました。さらに、ストレスから十二指腸潰瘍にもなってしまったそうです。

卒業公演当日、岡部さんは人前で演じることが恥ずかしくて仕方がなかったとか。本番でも前を向くことができず、舞台の後ろに下がっていってしまったと振り返ります。

友人や彼女も観に来てくれましたが、友人は何も言わずに帰ってしまい、彼女からは「やめたほうがいいんじゃない?」と言われてしまったそうです。

しかし、意外なことに岡部さんは正式に劇団員として認められました。後から聞いた話では、当時の劇団は何にも染まっていない素人っぽい人を求めていたようです。

この経験から、岡部さんは自分の無知さに気づかされました。小津安二郎や黒澤明の作品も見たことがなく、戯曲も東京に来てから読み始めたくらいだったと言います。

このように、岡部さんの20代前半は、自分の未熟さと向き合いながら、俳優としての基礎を学んでいく時期でした。苦悩の中にも、新しい世界への好奇心が芽生えていったのです。

30代の活動

30代の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2002年(30歳)
  • 「午後の男優室」というユニットで活動開始
  • 「城山羊の会」に参加
2004年(32歳)
  • テレビドラマ『ペダンチックな夜』(フジテレビ)に出演
2006年頃(34歳頃)
  • 青年団系の舞台のオーディションを積極的に受け始める
  • 演劇ユニット「切実」を立ち上げ、演出も担当
2009年(37歳)
  • テレビドラマ『BOSS』(フジテレビ系列)に出演

演劇活動の深化と転機

岡部たかしさんの30代は、演劇活動がさらに深まり、大きな転機を迎えた時期でした。

30代前半、岡部さんは「午後の男優室」というユニットや「城山羊の会」など、様々な舞台に出演しました。この時期から、少しずつテレビドラマにも出演するようになっていったのです。

30代半ばになると、岡部さんは新たな挑戦を始めました。それは、青年団系の舞台のオーディションを積極的に受けることでした。

岡部さんは、オーディションに落ちることを恐れずに挑戦し続けたと言います。「落ちてもいいから、今までとは違うことをやりたい」という強い思いがあったそうです。

この時期の経験について、岡部さんは「落ちたり受かったりしながら、少しずつ世界が広がっていった」と振り返ります。また、自分が求める芝居の方向性が見えてきたのもこの頃だったと語っています。

岡部さんにとって「おもしろさ」は常に重要なテーマでした。30代後半になって、その「おもしろさ」が具体的に何なのか、ようやく見えてきたのです。

この時期、岡部さんは自身で「切実」という演劇ユニットを立ち上げ、演出も手がけるようになりました。演技だけでなく、舞台全体を作り上げる経験を通して、さらに表現の幅を広げていったのです。

にゃん
にゃん
岡部たかしさんって、30代の頃は演技に対してすごく厳しかったって本当?
わん
わん
うん、そうなんだって。岡部さんは30代の頃、「面白い」ことにすごくこだわっていたらしいよ。飲み会で相手に「お前、おもろない!」って言いすぎてケンカになることもあったんだって。かなり尖っていた時期だったみたいだね(笑)

アルバイト地獄と俳優業の両立

岡部たかしさんの30代は、俳優業とアルバイトを両立させながら生活を送った時期でした。演技の仕事だけでは生活が難しく、様々なアルバイトを経験したそうです。

岡部さんが経験したアルバイトは実に多岐にわたります。警備員、居酒屋、日雇いの作業員、テレフォンアポインター、宅配寿司のデリバリーなど、本当に様々な仕事を経験したと語っています。

中でも印象的だったのは、タクシー会社の配車業務でした。お客さんから電話を受け、運転手さんに無線で指示を出す仕事だったそうです。

岡部さんは、この仕事中に面白いエピソードがあったと振り返ります。

「舟木一夫さんの家を知りたい」という変わった電話がかかってきたときのことです。隣にいた演劇仲間に「舟木一夫担当に代わります」と言ってパスし、友人が「はい、舟木一夫担当です」と応対したそうです。

このようなユーモアのある対応に、上司から「お前らあんまり遊ぶな」と注意されたものの、岡部さんはとても楽しかったと笑顔で語ります。

アルバイトの経験は、岡部さんの演技にも良い影響を与えたようです。様々な職種を経験したことで、多様な人間性を理解し、それを演技に生かすことができたのではないでしょうか。

このように、30代の岡部さんは、生活のためのアルバイトと俳優としてのキャリアを両立させながら、着実に経験を積んでいきました。これらの経験が、後の40代での活躍につながる土台となったのです。

40代以降の活動

40代以降の主な活動歴

西暦(年齢) 主な活動歴
2012年(40歳)
  • 事務所を移籍
  • 大きな劇場の芝居に出演する機会が増加
2017年(45歳)
  • NHK連続テレビ小説『ひよっこ』に出演
2022年(50歳)
  • ドラマ『エルピス』(関西テレビ、フジテレビ系列)で注目を集める
  • NHK夜ドラ『あなたのブツが、ここに』で主要な役を演じる
2023年(51歳)
  • ドラマ『リバーサルオーケストラ』(日本テレビ系)に出演
2024年(52歳)
  • NHK連続テレビ小説『虎に翼』で主人公の父親役を演じる

ドラマでのブレイク

岡部たかしさんの40代は、ドラマでのブレイクを果たした時期でした。長年の努力が実を結び、注目を集める役柄を次々と演じることになったのです。

特に2022年に出演した『エルピス』と『あなたのブツが、ここに』という二つのドラマが、岡部さんの転機となりました。これらの作品で、岡部さんは個性的な役柄を演じ、多くの視聴者の心に強く印象を残したのです。

『エルピス』では、岡部さんはセクハラ上司の村井役を演じました。当初は視聴者から嫌われる役柄でしたが、ドラマが進むにつれて、共感を得られるキャラクターへと変化していきました。

岡部さんは、この役について「振り幅の大きい役を1本の連続ドラマで演じ切った」と振り返っています。

『あなたのブツが、ここに』では、運輸会社の社長を演じました。岡部さんは、この役に「とても自由度が高かった」と語り、のびのびと演技ができたそうです。

これらの作品を通じて、岡部さんは「アラフィフで個性派俳優としての地位を確立した」と評されるようになりました。長年の下積みを経て、ようやく俳優として花開いた瞬間だったのです。

岡部さんは、この成功について「人気者になることをあきらめたところで舞い込んできた運」だと謙虚に語っています。40代になる前に「人気者になることをあきらめよう」と考えたことが、逆に良い結果につながったと感じているようです。

個性派俳優としての確立

岡部たかしさんは、40代後半から50代にかけて、個性派俳優としての地位を確立していきました。彼の演技スタイルは、独特の魅力を放つようになったのです。

岡部さんは、役作りについて興味深い考えを持っています。彼は「人間らしさ」を表現することにこだわりを持っているそうです。

例えば、スーツをビシッと着こなした冷静沈着な政治家の役を演じる際も、走り方が少しおかしかったり、運転が下手だったりするような「ギャップ」を意識的に作り出すのだとか。

この「ギャップ」こそが、岡部さんの演技の魅力の一つになっています。彼は「そういうギャップを演技でしっかり表現できたら面白い」と語っています。

また、岡部さんは役への入り方についても独自の方法を持っています。彼は感情からではなく、身体から役に入っていくタイプだと言います。

例えば、泣くシーンでは喉に指を入れて無理にでも涙を出し、その涙に感情が引っ張られていくという方法を取るそうです。

このような独自の演技論と豊かな表現力が、岡部さんを個性派俳優として確立させた要因の一つと言えるでしょう。

さらに、岡部さんは50代に入ってからNHK連続テレビ小説『虎に翼』で主人公の父親役を演じるなど、より重要な役柄も任されるようになりました。これは、彼の演技力と個性が広く認められた証とも言えるでしょう。

このように、岡部さんは40代後半から50代にかけて、独自の演技スタイルを確立し、個性派俳優としての地位を不動のものにしていったのです。

にゃん
にゃん
岡部たかしさん、40代以降も現場入りで緊張するって本当?
わん
わん
うん、そうみたい!岡部さんは『リバーサルオーケストラ』の撮影で、長台詞のシーンを前に眠れないくらい緊張したんだって。でも、全力疾走するシーンを撮ったら、役の「ノリ」が掴めたらしいよ。ベテランでも緊張するんだね!

岡部たかしの若い頃〜現在はどんな活動を?

朝ドラで父親役に挑戦

岡部たかしさんは、2024年に放送されたNHK連続テレビ小説『虎に翼』で、主人公の父親役を演じました。この作品は、日本で初めての女性弁護士となった猪爪寅子の半生を描いたドラマです。

岡部さんは、寅子の父・猪爪直言を演じることになりました。

この役について、岡部さんは「自分が朝ドラで主人公のお父さんを演じるなんて、思ってもみませんでした」と驚きを隠せない様子でした。

直言は、当時の家庭のイメージとは違い、”かかあ天下”の家庭で優しい父親を演じています。岡部さんは、「子どもには好きなことをやってもらいたい」という気持ちが強い父親像を表現したそうです。

役作りについて、岡部さんは「感情の描かれ方が一面だけではないところが魅力」だと語っています。人間らしい複雑な感情を表現することにこだわったようです。

共演者との関係も良好だったようで、伊藤沙莉さんや石田ゆり子さんらとは、まるで初めての共演ではないようなチームワークができていたと振り返っています。

この朝ドラ出演は、岡部さんにとって新たな挑戦であり、個性派俳優としての地位をさらに確固たるものにする機会となったのです。

息子との共演で新たな絆

岡部たかしさんの息子・岡部ひろきさんは、父の影響を受けて俳優の道を選びました。

2020年、岡部さんは息子と同じ舞台に立つ機会を得ました。これは、親子の絆を深める特別な経験となったようです。

ひろきさんが俳優を志したきっかけは、高校3年生になる前に父の舞台を観たことでした。「親父って、こんな面白いことをやってるんや」と衝撃を受けたそうです。

岡部さんは、息子から俳優になりたいと相談されたとき、「おもろかったら、ええんちゃう」と即答したと言います。この言葉には、自身の経験から得た深い意味が込められていたのでしょう。

父子での共演について、岡部さんは「父と息子というより、先輩と後輩みたいな感じ」と語っています。離婚後、長く一緒に暮らしていなかったため、むしろ同じ職業の先輩後輩のような関係性が生まれたようです。

興味深いことに、岡部さんと息子は高校も同じだったそうです。さらに、息子も父と同じように年上の女性に恋をしているとか。岡部さんは、この親子の類似点を「面白い」と感じているようです。

この親子共演を通じて、岡部さんと息子の関係はより深まったようです。プライベートでも仕事でも、新たな絆が生まれたことが伺えますね。

岡部たかしの若い頃はアルバイト地獄!十二指腸潰瘍と戦った下積み時代!:まとめ

岡部たかしさんの若い頃は、演劇への情熱と苦悩が交錯する時期でした。

24歳で上京し、劇団東京乾電池に入団した岡部さんは、初めての舞台で大きな挫折を経験します。

しかし、この経験が後の成長につながりました。

30代になると、様々な舞台やドラマに出演しながら、アルバイトとの両立に奮闘。「おもしろさ」を追求する姿勢は、この時期に培われたものです。

40代に入ると、岡部さんの俳優としての才能が開花します。

『エルピス』や『あなたのブツが、ここに』などのドラマで注目を集め、個性派俳優としての地位を確立。50代では朝ドラで主人公の父親役を演じるなど、着実にキャリアを重ねています。

若い頃の苦労が、今の岡部さんの魅力的な演技につながっているのかもしれませんね。