この記事では、岡本健一さんの若い頃から現在までの活動を詳しく紹介しています。
ジャニーズ入所からアイドル歌手としてのデビュー、そして俳優への転身と、岡本さんのキャリアの変遷が明らかになります。
また、舞台俳優としての評価の高まりや、近年の男闘呼組再結成など、最新の活動についても触れています。
当記事を読めば、岡本健一さんの多彩な才能と、半世紀に渡る芸能活動の軌跡を知ることができますよ!
当記事で主に以下の内容をまとめています。
- 岡本健一さんのジャニーズ入所のきっかけと合宿所での経験
- 男闘呼組結成の経緯と若い頃の音楽活動
- 10代後半から20代にかけての俳優業への転身過程
- 若い頃のダンスレッスンへの苦手意識とギターへの興味
- 20代での嵐の写真集カメラマン担当エピソード
- 若い頃の経験が現在の活躍にどうつながっているか
岡本健一の若い頃:主な活動歴や受賞歴
10代の活動
10代の主な活動歴
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
---|---|
1984年(15歳) | ジャニーズ事務所に入所 |
1985年(16歳) |
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1986年(17歳) | ドラマ「このこ誰の子?」に出演 |
1987年(18歳) |
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1988年(19歳) |
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ジャニーズ入所と合宿生活
岡本健一さんのジャニーズ入所は、偶然の出会いから始まりました。
中学3年生の夏休み、原宿で偽スカウトマンに声をかけられたことがきっかけでした。
その後、友人と一緒に事務所を訪れ、ジャニー喜多川さんと直接会う機会を得たのです。
岡本さんは当時を振り返り、こう語っています。
「ジャニーさんに会った途端、『フラフラしてるから悪い人に声をかけられるんだ』と説教されました。でも、その後に指示された場所で写真を撮ってもらい、それが雑誌に掲載されたんです。」
この出来事が岡本さんの人生を大きく変えることになりました。
学校に戻ると、雑誌に載った岡本さんを見ようと多くの人が教室に押し寄せたそうです。
岡本さんは「世界が変わった」と当時の衝撃を語っています。
合宿所での生活も印象深かったようです。
少年隊や諸星和己さん、城島茂さんらと一緒に過ごし、様々な経験を積みました。
中でも、先輩の植草克秀さんのいちごみるくを勝手に飲んでしまい叱られたエピソードは、岡本さんの記憶に強く残っているようです。
このような経験を通じて、岡本さんはジャニーズの世界に深く入っていきました。
合宿所での生活は、彼の芸能人としての基礎を築く重要な時期だったのでしょう。
昭和最後の年の最初のCM
SEIKO「Avenue」男闘呼組のCMが、とにかくカッコ良かった‼
CMソング「TIME ZONE」が、なぜか、デビュー曲より有名らしい。
いまだに、なんとか現役な、
私の岡本健一さんモデル(CMやポスターなどで着用)
もう、30年も経つんだな~
これだけは、捨てれない#男闘呼組#岡本健一 pic.twitter.com/YUb16Zrroz— ゆう🌰 (@yuu0106peco8707) December 28, 2018
男闘呼組ファンクラブの会報★第15号「映画特集」も同時UP!
岡本健一主演映画「あいつ」
前田耕陽主演映画「ツルモク独身寮」
…のSTORYがよ〜く分かる内容です!が… 見たい!と思っても、現在レンタルしてるかは不明です(^_^;https://t.co/DKQQ0pafW7 pic.twitter.com/F8wcp5nmJb
— Otokogumi-Fan (@OtokogumiFan) May 15, 2020
ご近所の日本武道館【 男闘呼組 】
LAST FOREVER 8月16、17、24、25日の4日間。
メンバーは、成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽の4人。昨年、29年振りに期間限定で復活。
今後はメンバーも増え「Rockon Social Club」で活動!
ファンの皆様、ライブ後の打ち上げにぜひ、お待ちしております。 pic.twitter.com/ruRazv3z6R— ゴーシュの鈴木です。 (@Gauchesuzuki) August 16, 2023
男闘呼組デビューと活躍
1988年、岡本健一さんは男闘呼組のメンバーとしてデビューしました。
当時のジャニーズでは珍しい、本格的なロックバンドとして注目を集めました。
元光GENJI 内海光司、佐藤アツヒロ、男闘呼組 岡本健一……熟年世代の煌めきが作る新しいジャニーズタレント像 … – Yahoo!ニュース / https://t.co/VKnvYfIEe2 #ジャニーズ #ジャニーズニュース速報 pic.twitter.com/2cq6dlunul
— ジャニーズニュース速報 (@johnnys_fan_jp) January 22, 2023
岡本さんは、バンド結成当初のことをこう振り返っています。
「ジャニーズ系の音楽より、ロックなどの別のジャンルに関心があったんです。後に一緒にバンドを組むことになる成田昭次さんにギターを習ったのがきっかけで、ギターにのめり込んでいきました。」
実は、岡本さんはダンスレッスンをサボる口実として音楽スタジオを借りていたそうです。
そこで本格的にギターの練習を始めたといいます。
この経験が、後の男闘呼組での活動につながったのでしょう。
男闘呼組は、ジャニーズらしからぬ音楽性を追求した硬派なスタイルで、多くのファンの心を掴みました。
同時期に人気を博した光GENJIの陰に隠れがちでしたが、独自の魅力で5年間活動を続けました。
この光GENJIとSMAPの裏、男闘呼組と岡本健一だったんだー。 pic.twitter.com/Ar5RFTVUy3
— 成本耕也。 (@81816520521o) September 10, 2017
岡本さんは当時を振り返り、「音楽をやりたい人、海外に行きたい人と、みんな好き勝手言ってました。僕も演劇をやりたかったんです。」と語っています。
この言葉からは、若い頃から多様な興味を持っていた岡本さんの姿が垣間見えます。
男闘呼組での活動は短期間でしたが、岡本さんにとって貴重な経験となったようです。
この経験が、後の俳優業や音楽活動に大きな影響を与えたのではないでしょうか。
20〜30代の活動
20〜30代の主な活動歴
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
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1990年(21歳) | 舞台「ペール・ギュント」に出演 |
1991年(22歳) | 舞台「蜘蛛女のキス」に出演 |
1993年(24歳) |
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1994年(25歳) | ドラマ「禁断の果実」で主演 |
1996年(27歳) | NHK大河ドラマ「秀吉」に出演 |
1997年(28歳) | ドラマ「めぐり逢い」に出演 |
2000年(31歳) | Floorのバンド活動開始 |
2002年(33歳) | 嵐の写真集のカメラマンを務める |
2004年(35歳) | 舞台「タイタス・アンドロニカス」に出演 |
2008年(39歳) | 映画「ぼくのおばあちゃん」に主演 |
俳優業への本格的な転身
男闘呼組の活動休止後、岡本健一さんは俳優業に本格的に転身しました。
特に舞台俳優として大きく飛躍し、その才能を開花させていきました。
岡本さんは19歳の時、蜷川幸雄さん演出の舞台『唐版 滝の白糸』に出演しています。
この経験が、彼の俳優としての道を決定づけたようです。
岡本さんは当時を振り返り、「舞台に立った時、これが自分の進むべき道だと感じました」と語っています。
その後、様々な舞台に出演し、演技力を磨いていきました。
特に印象深いのは、1991年の『蜘蛛女のキス』での村井国夫さんとの二人芝居です。
岡本さんは「緊張しましたが、村井さんから多くのことを学びました」と、この経験を大切に思っているようです。
テレビドラマにも積極的に出演し、幅広い役柄をこなしていきました。
1994年の『禁断の果実』では主演を務め、その演技力が高く評価されました。
ドラマ「禁断の果実」に出ていた岡本健一さんが美しい。
幼き頃に「不機嫌な果実」というドラマで知ってから、
ずっと顔が好みなんだよな。 pic.twitter.com/y7mcOIrNF6— 倉居純名(くらい じゅんな) (@chunming_1012) June 19, 2020
岡本さんは「ドラマと舞台、両方に挑戦することで、俳優としての幅が広がったと感じています」と語っています。
映画にも進出し、1997年には『めぐり逢い』に出演。
この作品で、岡本さんは新たな一面を見せることができたそうです。
20代から30代にかけて、岡本さんは俳優として着実にキャリアを積み重ねていきました。
様々な作品に出演することで、その演技力と表現力を磨き、多くのファンを獲得していったのです。
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— 文献書院&ブンケンロックサイド (@bunkenandrock) August 26, 2016
ADDICTバンド活動と挑戦
岡本健一さんの音楽への情熱は、俳優業と並行して続いていきました。
1993年、彼は新たなバンド「ADDICT OF THE TRIP MINDS」を結成します。
このバンド名には、「音楽を演奏したり聴いたりする瞬間の快感にハマった人々」という意味が込められていたそうです。
岡本さんは、このバンド結成の経緯をこう語っています。
「1991年から月1回のペースで、自分がDJを務めるクラブイベント『Club・Addict』を開催していました。
そこの常連メンバーたちと意気投合して、バンドを組むことになったんです。」
ADDICTは、岡本さんがボーカルとギターを担当し、元々の音楽的なルーツに立ち返った形となりました。
1994年には、東京・寺田倉庫で録音したアルバムをリリース。
岡本さんは「スタジオに集まれば、すぐに曲が生まれる。
そんな一体感がありました」と、当時を懐かしそうに振り返ります。
しかし、バンド活動は順風満帆というわけではありませんでした。
メンバー間で方向性の違いが生じ、2ndアルバム完成直後に岡本さんは脱退することになったのです。
この経験について岡本さんは「挫折を味わいましたが、同時に新たな挑戦への原動力にもなりました」と語っています。
実際、その後「Floor」という新バンドを結成し、音楽活動を継続しています。
ADDICTでの活動は、岡本さんにとって俳優業とは異なる形での自己表現の場となりました。
この経験が、彼の芸術家としての幅を広げ、後の活動にも大きな影響を与えたのでしょう。
40〜50代の活動
40〜50代の主な活動歴
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
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2009年(40歳) | 舞台「ヘンリー六世」でリチャード役を演じる |
2016年(47歳) | NHK大河ドラマ「真田丸」に出演 |
2018年(49歳) |
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2020年(51歳) |
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2021年(52歳) |
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2022年(53歳) |
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2023年(54歳) |
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舞台俳優としての評価確立
40代に入ってから、岡本健一さんの舞台俳優としての評価が大きく高まりました。
特にシェイクスピア作品での演技が高く評価され、数々の賞を受賞しています。
2004年、岡本さんは『タイタス・アンドロニカス』でエアロン役を演じ、第12回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞しました。
この役について岡本さんは「難しい役でしたが、挑戦することで新たな自分を発見できました」と語っています。
その後も、シェイクスピア作品への出演が続きました。
2009年の『ヘンリー6世』でリチャード役を演じた際には、再び読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。
岡本さんは「シェイクスピアの言葉の深さに魅了されました」と、その経験を振り返っています。
2018年には『岸 リトラル』『ヘンリー五世』の2作品で、ついに読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞しました。
この快挙について岡本さんは「長年の努力が報われた気がして、とても嬉しかったです」と喜びを語っています。
さらに2020年には、『リチャード二世』でリチャード二世役を演じ、紀伊國屋演劇賞と芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
岡本さんは「一つの役を通して、これほど多くのことを学べるとは思いませんでした」と、役者としての成長を実感したそうです。
このように、40代から50代にかけて、岡本さんは舞台俳優として確固たる地位を築きました。
彼の真摯な姿勢と卓越した演技力は、観客だけでなく、批評家からも高い評価を得ているのです。
ジャニーズ事務所の俳優、岡本健一さんが9日
東京都内で行われた2020年度芸術選奨の贈呈式に出席文化庁が芸術分野の優れた業績を表彰
舞台「リチャード二世」での演技が評価された岡本は文部科学大臣賞を受賞し、「今まで以上にいろんな作品、人たちに出会って、社会に貢献できたら」と感謝 pic.twitter.com/mhSJiB8N9C— 株式会社 BGM JAPAN プロジェクトチーム (@stkzo_) March 9, 2021
音楽の日は見れてないのですが、岡本健一さんといえば真田丸の毛利勝永様が格好良ぎてしんどいのでTLに置いておきますね pic.twitter.com/MeJEuMA9xo
— ミライ (@miraino0712) July 16, 2022
男闘呼組再結成と新たな挑戦
2022年、岡本健一さんは29年ぶりに男闘呼組を再結成し、音楽活動を再開しました。
この再結成は、多くのファンを驚かせると同時に、大きな話題を呼びました。
岡本さんは再結成のきっかけについて、こう語っています。
「5年ほど前から、個々のメンバーと連絡を取り始めたんです。
カラオケに行ったりして、少しずつ関係を築いていきました。」
その後、27年ぶりに4人全員で集まり、名古屋の音楽スタジオで演奏してみたそうです。
岡本さんは「まるでタイムスリップしたような感覚でした。
当時のファンに、もう一度ライブを聴いてもらいたいと強く思いました」と、再結成への思いを語っています。
再結成後のライブでは、30年前に急な活動休止で行けなくなった会場を中心に回ったとのこと。
岡本さんは「お客さんの反応を見て、この音楽がまだ多くの人の心に残っていることを実感しました」と、感慨深げに話しています。
さらに、2023年末には新たな挑戦として、Rockon Social Clubの一員として第74回NHK紅白歌合戦に出演。
岡本さんにとって、男闘呼組として出場して以来34年ぶりの紅白出演となりました。
この経験について岡本さんは「まさか50代になってから、再び紅白のステージに立てるとは思いませんでした。
新しい挑戦の機会を得られたことに、心から感謝しています」と述べています。
このように、40代後半から50代にかけて、岡本さんは音楽活動を再開し、新たな挑戦を続けています。
俳優としてのキャリアと並行して、音楽面でも精力的に活動を展開している岡本さんの姿勢は、多くの人々に刺激を与えているのです。
男闘呼組だったね…
おはようございます😃
今日は岡本健一さんの誕生日🎂
同い年か💦こうも生物的に違うと
神様仏様遺伝子様の差別を痛感する次第であります🤣
若い頃は当然、嫌いな奴だ!と勝手に決めつけておりましたが…←ごめんね🙏真田丸の役見て、いい役者になったなぁ〜と、勝手に思いました😊 pic.twitter.com/ZPK5pbBdoO— チチ (@mahy320) May 20, 2018
岡本健一の若い頃〜現在はどんな活動を?
俳優としての成長と受賞歴
岡本健一さんの俳優としての道は、19歳の時に出演した蜷川幸雄さん演出の舞台『唐版 滝の白糸』から本格的に始まりました。
この経験が、彼の俳優人生の転機となったのです。
その後、岡本さんは様々な舞台、テレビドラマ、映画に出演し、演技力を磨いていきました。
特に舞台俳優として高い評価を得るようになり、40代に入ってからは数々の賞を受賞しています。
2004年には『タイタス・アンドロニカス』でエアロン役を演じ、第12回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。
2009年の『ヘンリー6世』でのリチャード役でも同賞を受賞しました。
岡本さんは「シェイクスピアの言葉の深さに魅了された」と語っており、シェイクスピア作品への出演が彼の俳優としての成長に大きく寄与したことがうかがえます。
2018年には『岸 リトラル』『ヘンリー五世』の2作品で、ついに読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞。
さらに2020年には『リチャード二世』での演技が評価され、紀伊國屋演劇賞と芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。
岡本さんは受賞について「長年の努力が報われた気がして、とても嬉しかった」と喜びを語っています。
また、「一つの役を通して、これほど多くのことを学べるとは思わなかった」と、俳優としての成長を実感している様子も伺えます。
2022年には、これまでの功績が認められ、春の紫綬褒章を受章。
岡本さんの俳優としての評価は、年々高まっているのです。
このように、岡本さんは舞台を中心に活躍し、その演技力と表現力で多くの観客と批評家から高い評価を得ています。
アイドル歌手から俳優へと転身し、着実にキャリアを積み重ねてきた岡本さんの姿勢は、多くの人々に感銘を与えているのでしょう。
岡本健一のプロフィール
項目 | プロフィール |
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生年月日 | 1969年5月21日 |
出身地 | 東京都新宿区 |
血液型 | O型 |
職業 |
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所属グループ |
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主な受賞歴 |
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家族 | 長男:岡本圭人(元Hey! Say! JUMP) |
岡本健一の若い頃がイケメン!10代のジャニーズ入所から現在まで!:まとめ
岡本健一さんの若い頃は、15歳でジャニーズ事務所に入所したことから始まりました。
当初はダンスに苦戦しましたが、ギターに興味を持ち、後に男闘呼組のメンバーとなる成田昭次さんから学びました。
1988年、19歳で男闘呼組としてデビューし、ロックバンドとして注目を集めます。
同時期に、蜷川幸雄さん演出の舞台に出演し、俳優としての才能も開花させました。
20代で男闘呼組が活動休止すると、岡本さんは本格的に俳優業へ転身。
舞台を中心に活躍し、その演技力は年々高まっていきました。
若い頃のアイドル経験を糧に、岡本さんは俳優として着実にキャリアを積み重ね、40代以降は数々の賞を受賞。
現在も舞台俳優として、また音楽活動でも精力的に活躍しています。