山本リンダさんは、若い頃にモデルとして活躍し、その後歌手として大ブレイクを果たしました。
この記事では、彼女のデビュー秘話やヒット曲「こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」など、彼女が経験した多くの成功と苦悩を振り返ります。
当記事を読めば、山本リンダさんの若い頃から現在に至るまでの輝かしい活動の歴史を知ることができますよ!
当記事で主に以下の内容をまとめています。
- 山本リンダさんが若い頃、モデルとしてデビューした経緯
- 15歳での歌手デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした背景
- 「可愛い子ちゃん歌手」としての成功とその後の苦悩
- 全米6都市での公演やツイッギーとの共演など、若い頃の海外活動
- ヒット曲「どうにもとまらない」による大きなイメージチェンジ
山本リンダの若い頃:主な活動歴や受賞歴
10〜20代の活動:輝かしい歌手デビュー
10〜20代の主な活動
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
---|---|
1963年(12歳) | ファッション誌「装苑」でモデルデビュー |
1965年(14歳) | NHKの音楽番組「夢のセレナード」のカバーガールに抜擢 |
1966年(15歳) |
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1967年(16歳) |
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1971年(20歳) |
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可愛い子ちゃん歌手の誕生
山本リンダさんの歌手デビューは、ひょんなことから始まりました。
モデルとして活躍していた15歳の時、作曲家の遠藤実さんとの運命的な出会いがありました。
遠藤さんに「ボーイフレンドはいるの?」と尋ねられた山本さん。
緊張のあまり、思わず「こまっちゃうナ」と答えてしまったのです。
この一言が、デビュー曲のタイトルになりました。
曲は瞬く間に完成。
レコーディングでは緊張で声が震えましたが、練習のつもりで歌ったら、意外にも伸び伸びと歌えたそうです。
遠藤さんは即座に「この曲でデビューだ!」と決めたのでした。
「こまっちゃうナ」は100万枚を超える大ヒットとなり、山本さんは一躍国民的アイドルに。
舌足らずな歌い方が特徴的な”可愛い子ちゃん歌手”として、多くの人々の心を掴みました。
山本 リンダ
「こまっちゃうナ」
1966年
山本リンダさんのデビューシングル。ツイッターの通知が、いきなり変わりましたね…「いいね!」を返すのが面倒になるかと。出来れば、元に戻して欲しいですね…😃
裏ジャケットも中々良いですよ… pic.twitter.com/60BwbguKxJ
— ザッキー 2024 (@MeZKDAnnHo3gT17) January 28, 2023
デビュー曲の衣装は今でも着られるそうで、50年経った今でも当時の体型を維持しているのは驚きです。
山本さんは「健康オタク」を自認し、日々の努力を欠かさないのだとか。
可愛い子ちゃん歌手としてスタートを切った山本さんですが、このイメージは後に彼女を悩ませることになります。
それでも、歌手としての第一歩を踏み出せたことは、山本さんにとってかけがえのない思い出となったのでしょう。
1966s の山本リンダ (稲葉あつ子)
「若い女性」掲載時のリンダさん、この時15歳…。二ヶ月後に「こまっちゃうナ」でアイドルデビュー!
なかなか大人ぽい歌を15歳で唄っていたんですね…
素直に可愛い少女です! pic.twitter.com/1J4COuT9Au— マモル (@mamoru04021219) February 6, 2015
ヒット曲「こまっちゃうナ」
「こまっちゃうナ」のヒットにより、山本リンダさんの人生は一変しました。
デビュー曲が100万枚を超える大ヒットとなり、彼女は一躍国民的アイドルの仲間入りを果たしたのです。
このヒットを受けて、山本さんは全米6都市での公演という貴重な機会を得ました。
海外でのパフォーマンスは、彼女に新たな刺激を与えたことでしょう。
当時の人気モデル、ツイッギーになぞらえて「ジャパニーズ・ツイッギー」と呼ばれたことも、山本さんにとって印象深い出来事だったようです。
確かに山本リンダって、1960年代を代表するモデルだったンだな…
隣のツイッギーは、英国のミニスカ女王と呼ばれたファションモデル。 https://t.co/yVBDmbQvIS pic.twitter.com/fXAeTtBxZr
— 山田 太郎 (@yamada25tm2) October 5, 2024
実際、1967年にツイッギーが来日した際には、ファッションショーで共演するという夢のような体験もしました。
「こまっちゃうナ」のヒットは、NHK紅白歌合戦への初出場という形でも実を結びました。
しかし、山本さんは喜びの中にも不安を感じていたといいます。
「来年も出られるんだろうか」という思いが、すでに頭をよぎっていたそうです。
この予感は、残念ながら的中してしまいます。
「こまっちゃうナ」以降、ヒット曲に恵まれない時期が続き、山本さんは苦しい日々を過ごすことになります。
それでも、「こまっちゃうナ」で築いた人気は根強く、後年になってテレビCMに採用されるなど、世代を超えて愛され続けています。
山本さんにとって、この曲は苦しみと喜びが入り混じった、特別な存在なのかもしれません。
イメージチェンジへの苦悩
山本リンダさんは、「こまっちゃうナ」のヒット後、苦しい時期を経験しました。
「可愛い子ちゃん歌手」のイメージから抜け出せず、次々とヒット曲を出せない日々が続いたのです。
コンサート会場の客席にも空きが目立つようになり、大きな劇場での公演から小さな会場でのライブへと規模が縮小。
山本さんは全国のキャバレーやスナックを回る日々を送ることになりました。
彼女は当時を振り返り、「歌番組で歌うのも放送のないアトラクション枠だったり」と、辛い思い出を語っています。
舌足らずな声で歌う「こまっちゃうナ」のイメージから脱却できず、歌手としての将来に不安を感じていたそうです。
「長く歌い続けられる歌手になりたい」という強い思いから、山本さんは何度もイメージチェンジに挑戦します。
発声法を変えたり、衣装の雰囲気を変えたり、メイクを変えたりと、様々な工夫を重ねました。
しかし、なかなか思うような結果は得られませんでした。
そんな中、山本さんは越路吹雪さんや岸洋子さんなど、大先輩の舞台を見に行くようになります。
彼女たちの真剣な姿に感銘を受け、「お客さまに勇気や希望を届けられる歌手になりたい」という新たな目標を見出したのでした。
この苦悩の時期は、山本さんにとって厳しいものでしたが、同時に歌手としての成長のきっかけにもなりました。
後のイメージチェンジ成功へとつながる、重要な経験だったのかもしれません。
30〜40代の活動:大人の歌手へ
30〜40代の主な活動
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
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1982年(31歳) | 初のレビューショーを開催 |
1989年(38歳) |
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1990年(39歳) |
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1991年(40歳) |
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1993年(42歳) | ヘアヌード写真集を出版し話題に |
1997年(46歳) | テレビアニメ「新・天地無用!」の主題歌「夢はどこへいった」を発表 |
「どうにもとまらない」大ヒット
山本リンダさんの人生を大きく変えたのが、「どうにもとまらない」という楽曲でした。
山本リンダ – どうにも とまらない [1972.6.5]
作詞:阿久悠 作曲・編曲:都倉俊一
(最高3位 / 38.0万枚 / 1972年 総合23位) pic.twitter.com/xhXHfjcUXo— JMF (Second) (@JMFLibrary) May 12, 2023
この曲との出会いは、彼女にとって運命的なものだったようです。
レコード会社を移籍して2曲目のシングルとして発表されたこの曲は、当初「恋のカーニバル」というタイトルでした。
しかし、作詞の阿久悠さんと作曲の都倉俊一さんの手によって、「どうにもとまらない」という印象的なタイトルに変更されました。
山本さんは初めてこの曲を聴いたとき、思わず鳥肌が立ったそうです。
待ち望んでいた曲に出会えた喜びと同時に、「この曲で売れなかったら、私は歌手としてもうダメだ」という覚悟も芽生えたといいます。
レコーディングに向けて、都倉さんから厳しい指導を受けました。
「絶対に笑うな、にらみつけて歌え」「もっと腹から声を出せ」といった指示を受け、山本さんは必死に新しい自分を作り上げようとしました。
衣装にも工夫を凝らし、10代の頃に好きだった外国映画からインスピレーションを得て、”へそ出し”スタイルを提案。
昭和のへそ出しルック、山本リンダさんです。御査収下さいませ(ФωФ) https://t.co/EyHN07rsb4 pic.twitter.com/E8CoryxpiX
— 野﨑 具彦 (JL1QAH) (@kakko_gu) September 10, 2021
これが当時としては斬新で、大きな話題を呼びました。
「どうにもとまらない」は大ヒットを記録し、山本さんは5年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場。
長年の苦労が報われた瞬間でした。
この曲は、山本さんのキャリアを再び軌道に乗せただけでなく、日本の音楽シーンにも大きな影響を与えました。
彼女の歌手としての可能性を広げ、新たな道を切り開いた重要な作品となったのです。
セクシー路線で人気再燃
「どうにもとまらない」のヒットを機に、山本リンダさんは大胆なイメージチェンジを果たしました。
可愛らしいアイドルから、大人の魅力を放つセクシーな歌手へと変身を遂げたのです。
この新しいイメージは、次の楽曲「狂わせたいの」でさらに加速します。
山本リンダ – 狂わせたいの [1972.9.5]
作詞:阿久悠 作曲・編曲:都倉俊一
(最高6位 / 27.5万枚 / 1972年 総合45位) pic.twitter.com/Ax8vI4aGwW— JMF (Second) (@JMFLibrary) May 13, 2023
衣装はより大胆になり、背中が大きく開いた真っ赤なパンツルックを採用。
激しさを増した曲調に合わせ、山本さんのパフォーマンスもより情熱的になりました。
山本さんは、この変身について「今までの私を全部吹き飛ばして生まれ変われる」と期待に胸を膨らませていたそうです。
しかし同時に、ファンの反応を心配する気持ちもあったといいます。
新しいイメージは大成功を収め、「じんじんさせて」「狙いうち」「燃えつきそう」といったヒット曲が続きました。
#Nowplaying じんじんさせて – 山本リンダ (りばいばる 歌謡曲編 山本リンダ) pic.twitter.com/awXkE9ROxn
— jun ☆ unite for keeping our Earth (@modsquads) September 17, 2024
山本リンダ – 狙いうち [1973.2.25]
作詞:阿久悠 作曲・編曲:都倉俊一
(最高14位 / 17.6万枚 / 1973年 総合81位) pic.twitter.com/jpGrOnsmpl— JMF (Second) (@JMFLibrary) May 15, 2023
#nowplaying #NPbot 狙いうち – 山本リンダ – 燃えつきそう / 山本リンダの魅力 + シングルコレクション pic.twitter.com/7moiOJKyvp
— あべちゃん🐰🥦 (@abemania34_D5) March 23, 2017
特に「狙いうち」は後に野球の応援歌としても使われるほどの人気曲となり、世代を超えて愛されています。
この時期、山本さんのステージパフォーマンスは圧巻でした。
激しい振り付けと情熱的な歌唱で観客を魅了し、まさに「どうにもとまらない」エネルギーを放っていました。
セクシー路線への転換は、山本さんのキャリアに新たな可能性をもたらしました。
アイドル時代とは違う魅力で多くのファンを獲得し、歌手としての地位を確立。
この時期の活躍が、彼女の長いキャリアの礎となったのです。
アクション歌謡の先駆者に
山本リンダさんの新たなスタイルは、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。
彼女の情熱的な歌唱と激しい振り付けは、後に「アクション歌謡」と呼ばれるジャンルの先駆けとなったのです。
この新しいスタイルを確立するため、山本さんは並々ならぬ努力を重ねました。
振付師の一の宮はじめさんと共に、曲の世界観を表現する独特の振り付けを創り上げていきました。
山本さんは、当時を振り返ってこう語っています。
「歌と踊りと衣装が一体化したエンターテインメントを目指しました。体力的にはきつかったですが、お客様に新しい感動を届けたいという思いで頑張りました」
この努力は実を結び、山本さんのパフォーマンスは多くの人々を魅了しました。
特に若い世代から絶大な支持を得て、彼女のコンサートは毎回大盛況。
アクション歌謡は、後のピンク・レディーなど、多くのアーティストにも影響を与えることになります。
#うたコン
ピンク・レディーを歌ってるこのグループよりもやっぱり本物のほうがきれがあったな。
と、思ったら山本リンダは本人が出た。キレまくりー pic.twitter.com/6zEIjVaa41— rumi (@ruuu039111) February 7, 2023
しかし、このスタイルを維持するのは容易ではありませんでした。
激しいダンスと歌を両立させるため、山本さんは厳しいトレーニングを続けなければなりませんでした。
それでも、ファンの歓声を励みに、彼女は前を向いて進み続けたのです。
アクション歌謡の先駆者として、山本さんは日本の音楽史に新たな1ページを刻みました。
彼女の情熱的なパフォーマンスは、多くのアーティストに影響を与え、日本の音楽シーンをより豊かなものにしたのです。
50代以降の活動:変わらぬ輝き
50代以降の主な活動
西暦(年齢) | 主な活動歴 |
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2001年(50歳) | 常葉大学教授の稲葉光彦さんと結婚 |
2005年(54歳) | アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される |
2013年(62歳) | 北九州市から「北九州市特命大使(文化)」を委嘱される |
2015年(64歳) | BIGBANGのD-LITEさんとコラボレーション、「どうにもとまらない」を共演 |
2016年(65歳) |
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2021年(70歳) | 新曲「明日への翼」をリリース |
2024年(73歳) |
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第3次リンダブームの到来
1980年代後半、山本リンダさんの人気に再び火がつきました。
これは、彼女の楽曲が新たな形で注目を集めたことがきっかけでした。
人気バンド「米米CLUB」が山本さんの楽曲をカバーしてライブで演奏し始めたのです。
NHK『SONGS』観てました。米米CLUB。まさに世代です。尾崎豊やエコーズなんかを世間を斜に構えて聴いているその裏で、実は米米CLUBをちゃっかり聴いていたりして…そんな世代です。ジェームス小野田の山本リンダのカバー ライブでは定番でしたね。 pic.twitter.com/LKM3x5N9Ct
— 井上追輝 (@inotsuiteru) October 26, 2017
これにより、若い世代の間で山本さんの楽曲が再評価されることになりました。
さらに、1990年にはテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」で主人公のまる子が山本さんのモノマネをするシーンが放送されました。
このことも、山本さんの知名度を再び高める大きな要因となりました。
山本さんは、この予期せぬ人気の再燃について、こう語っています。
「まさか自分の歌が、こんな形で若い人たちに受け入れられるとは思ってもみませんでした。とてもうれしく、感謝の気持ちでいっぱいです」
このブームに乗って、山本さんは自身の曲をハウス調にアレンジしたアルバムやREMIXアルバムをリリース。
これらの作品は、オリコンチャートに次々とランクインする大ヒットとなりました。
1991年には、17年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場。
山本さんにとって5回目の出場となり、世代を超えた人気を証明することになりました。
第3次リンダブームの到来により、山本さんは再び脚光を浴びることになりました。
この経験は、彼女に新たな創作意欲をもたらし、その後の活動にも大きな影響を与えることになったのです。
50歳で結婚、幸せな私生活
山本リンダさんは、50歳という節目の年に人生の新たなステージを迎えました。
2001年5月3日、7歳年上の常葉大学教授、稲葉光彦さんと結婚したのです。
山本さんにとって、これが初めての結婚でした。結婚後の生活について、山本さんは幸せそうに語っています。
「主人は福祉を専攻している大学教授で、とても理解のある人です。お互いを尊重し合い、自分のできることは自分でやる。大人の結婚のいいところですね」と笑顔で話します。
結婚当初、山本さんは妻としての役割を果たそうと、仕事で遅くなっても朝早く起きて家事をしていたそうです。
しかし、夫から「まだ寝ていていいよ。自分のことは自分でやるから」と言われ、その気遣いに感動したといいます。
二人の共通の趣味は温泉旅行と自然散策。
山本さんが地方で仕事がある時は、近くに温泉があれば夫が合流することもあるそうです。
また、月のきれいな夜には二人で自転車に乗って月を眺めることもあるとか。
山本さんは「大好きな黒酢を毎日飲んだり料理に入れたりしているので血行がいい」と健康の秘訣を明かしています。
夫婦で健康に気を付けながら、穏やかな日々を過ごしているようです。
結婚生活は山本さんに新たな安らぎをもたらしました。
仕事と私生活のバランスを取りながら、充実した日々を送っている様子がうかがえます。
この幸せな私生活が、彼女の歌手活動にも良い影響を与えているのかもしれません。
「あ~あ、30まで結婚できないのかぁ~・・・」
実際山本リンダさんが結婚した際のご年齢はなんと50歳
更に20年後の話でした pic.twitter.com/CBjE67yJE1— 仙台の剣ドロス (@LEOL771974) September 7, 2022
歌手生活50周年の挑戦
2016年、山本リンダさんは歌手生活50周年という大きな節目を迎えました。
この記念すべき年に、彼女は東京・中野サンプラザで特別なコンサートを開催しました。
約2000人の熱心なファンを前に、山本さんは「どうにもとまらない」「狙いうち」など、27曲を熱唱しました。
50年の歳月を感じさせない、エネルギッシュなステージに会場は大いに沸きました。
コンサートでは、15歳でデビューした頃の衣装も披露。驚くべきことに、50年前と同じ衣装がぴったりと体にフィットしたのです。
山本さんは「日々の節制と努力の賜物」と笑顔で語りました。
「50年もやれるとは思っていませんでした。足腰もきついですが、次の50周年を目指して頑張ります」と、山本さんは生涯現役の決意を語りました。
その言葉には、歌手としての誇りと、ファンへの感謝の気持ちが込められていました。
健康維持の秘訣について尋ねられた山本さんは、「大好きな黒酢を毎日飲んだり料理に入れたりしています。それと、よく運動することですね」と答えました。
ただし、「最近は食べ過ぎるとすぐに体重に響くので、『こまっちゃうナ』と思うことも」と、愛嬌たっぷりに話しました。
50周年を迎えた山本さんは、これまでの経験を活かしながら、新たな挑戦も続けています。
2021年には新曲「明日への翼」をリリースし、歌手としての進化を続けています。
【#山本リンダ】
🎍謹賀新年🎍
🌅新年明けまして
おめでとうございます🗻山本リンダさんから皆様へ‼️
新年コメントでございます☺️
本当に綺麗でお美しい🥰待望の新曲も発売間近です‼️
楽しみですね🎶
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㊗️デビュー55周年記念曲🎉
「明日への翼」🎤
🗓️1月26日発売🎊
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✨Happy New Year✨ pic.twitter.com/fBEzfGPE7Q— 徳間ジャパン 演歌・歌謡曲 (@TOKUMA_ENKA) January 1, 2022
山本リンダによる日本国民をハッピーに誘うダンスPOPミュージック『明日(あす)への翼』がリリース! 2022年1月26日に発売。https://t.co/QyfVjrxc3T#めるトピ pic.twitter.com/ztwx8s7GsV
— レコードショップ芽瑠璃堂 (@merurido) January 19, 2022
長年のキャリアを持ちながらも、常に前を向き、新しいことに挑戦し続ける山本さんの姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。
山本リンダの若い頃〜現在:父や母への思い
「徹子の部屋」で語る父母への思い
2024年2月12日、山本リンダさんが「徹子の部屋」に出演し、両親についての思い出を語りました。
母親について、山本さんは音楽好きだったエピソードを披露。
「母が間借りしていた10畳の部屋に蓄音機があって、よく音楽をかけてくれたんです」と懐かしそうに話しました。
母親は日本の歌も海外の曲も大好きで、山本さんが曲に合わせて踊るのを楽しみにしていたそうです。
父親については、山本さんが1歳の時に朝鮮戦争で亡くなっていたことを明かしました。
直接の思い出はありませんが、母親を通じて父親の面影を感じていたようです。
「お風呂で石鹸の泡で遊んでいると、母が『あつ子(山本さんの本名)、お父さんと似てるね』と言ってくれることがありました」と、父親との類似点を母親が教えてくれていたエピソードを語りました。
山本さんは、両親から受け継いだ音楽への愛と、父親の面影を大切に心に刻んでいる様子が伝わってきました。
72歳になった今も、両親への思いを胸に活動を続けている山本さんの姿が印象的でした。
絶対領域あらわな衣装で「狙いうち」
2024年2月12日放送の「徹子の部屋」で、山本リンダさんが72歳とは思えない若々しさを披露しました。
「絶対領域」があらわな衣装で登場した山本さんは、1973年のヒット曲「狙いうち」を熱唱。
歌声は当時と変わらぬパワフルさで、視聴者を魅了しました。番組では、「狙いうち」にまつわる秘話も語られました。
当時は「男性上位」の時代で、「女性上位」を掲げた歌詞は珍しく、大きな反響があったそうです。
この曲が時代を先取りしていたことが窺えます。山本さんは、若い世代からも支持されていることを喜んでいました。
特に、ダンス&ボーカルユニット「新しい学校のリーダーズ」が「狙いうち」をリスペクトしていることに触れ、世代を超えた人気に感謝の意を表しました。
72歳になった今も現役で活躍し続ける山本さん。その姿は、多くの人々に勇気と元気を与えています。
これからも彼女の活動から目が離せません。
八代亜紀さんとの思い出を振り返る
2024年3月26日、山本リンダさんは八代亜紀さんのお別れ会に参列しました。
73歳で亡くなった八代さんとの思い出を、山本さんは感慨深げに語りました。
「すごく寂しいんですけれども、なんか本当にずっと一緒に今いるみたいな気持ちがして」と、山本さんは八代さんの存在の大きさを表現しました。
初めて参加したお別れ会で、八代さんが多くの人々から愛されていたことを実感したそうです。
山本さんは、八代さんがゲスト出演した自身の番組でのエピソードも明かしました。
「亜紀さんが『うちの母が、お弁当箱をいろんな紙で包んでくれるの。
その紙を子供の頃から捨てられなくて』と話してくれて。
なんて親孝行な人なんだと感動しました」と、八代さんの母親への深い愛情に触れ、その人柄の素晴らしさを振り返りました。
お別れ会には関係者1000人、一般参加者2000人が集まり、八代さんへの愛情があふれる場となりました。
山本さんは「ファンの方々の愛情があふれている。スタッフの方も、関係者の方も。みんなから愛された亜紀さんだったんだな」とほほ笑みました。
八代さんの人柄と音楽への姿勢は、山本さんにとって大きな影響を与えたようです。
これからも八代さんの思い出を胸に、山本さんは歌手としての活動を続けていくことでしょう。
昨夜は、母に連れてか、連れて行かれて八代厚生会館で夢コンサートなるものに行ってきました。狩人に始まり、フィンガーファイブ、チェリッシュ、三善英治、大川栄作、黛じゅん、山本リンダ、そして小林旭とてんこ盛りのコンサートでした! pic.twitter.com/tcczvDPltI
— 原田一郎 (@ichirou0529) February 16, 2015
山本リンダのプロフィール
項目 | プロフィール |
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本名 | 稲葉 あつ子(いなば あつこ) |
生年月日 | 1951年3月4日 |
出身地 | 福岡県小倉市(現:北九州市) |
身長 | 168cm |
血液型 | 不明 |
家族構成 |
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所属事務所 | リンダ・ミュージック・オフィス(自身の個人事務所) |
デビュー年 | 1966年 |
主なヒット曲 |
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特記事項 |
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山本リンダの若い頃にイメチェン苦悩の日々!可愛さからセクシーへ覚悟の転身!:まとめ
山本リンダさんの若い頃は、モデルとしてデビューし、15歳で歌手としての道を歩み始めました。
デビュー曲「こまっちゃうナ」で一躍人気者となり、「可愛い子ちゃん歌手」として注目を集めました。
しかし、そのイメージから抜け出せず苦悩の時期を経験。
30代に入り、「どうにもとまらない」で大胆なイメージチェンジを果たし、セクシー路線で人気を再燃させました。
アクション歌謡の先駆者として、激しい振り付けと情熱的な歌唱で多くのファンを魅了し、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。
50歳で結婲し、穏やかな私生活を送りながらも、歌手生活50周年を迎えた今もなお、新曲のリリースや精力的な活動を続けています。
山本リンダさんの変わらぬ輝きは、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。